このブログは長い間更新がありません。
つなビィでは、5年以上ログインがないアカウントは削除される場合がございます。
削除を希望されない方はこちらよりログインをお試しください。

22

 イギリスの、緑の瞳が声の主の姿を捉えて大きく瞠られる。らしくなく掠れた声に応えるように、アメリカは長いコンパスで人波を悠々と渡ると、彼の正面に進み出た。

「イギリス、俺も一曲目から参加させてもらうよ。いいよね?」

 反論は認めないぞ!といつもの口癖の台詞を堂々と言い放つアメリカに、先日の諍いを引き摺っている様子は微塵も見られなかった。それどころか、周囲の目はすっかり彼に釘付けになっている。それは、遅れてやって来たこの超大国が一体何を言い出したのかという好奇心と、人目を惹き付けずにはいられない、彼の出立ちにあった。
 普段、窮屈な服装を好まないと公言しているアメリカであるが、今夜の彼は誰の目から―――それこそイギリスの目から見ても、非の打ちどころのないテイルコートを完璧に着こなしていた。豪奢な照明の灯りを皓々と受けたコートのサテンラペルが、逞しい体躯の上で品の良い光沢を放っている。颯爽とした身のこなしは清々しい生気に満ち溢れ、欧州の列強たちとはまた種類の異なる、若い男の清潔な色気があった。

 唐突に会場に姿を現した真夏の蒼天のような存在に、イギリスは一瞬我を忘れたかのように言葉を詰まらせたが、すぐに自分の役割を思い出すと、些細な動揺など露ほども気取らせずに、精巧な人形のような表情を崩さぬまま、やや無礼なくらい慇懃に遅参者を迎え入れた。

「……随分とごゆっくりのお越しのようだが、合衆国殿」

 こちらもまた随分と結構な挨拶だが、ブラック・ユーモアとアイロニーの国ではこれが通常営業である。
 しかし、言われた張本人のアメリカはまるで怯まずに、けろりとして反駁した。

「だってしょうがないじゃないか。この後の夜食のピザのメニュー考えてたら、うっかり時間が過ぎちゃってたんだぞ」

「は?」

 ぴざ?と、突然何を言われたか理解できなかったイギリスは、主催者の仮面も忘れて無防備にアメリカの言った単語を繰り返した。

「そう!だってダンスなんてして帰ったら絶対お腹が空くに決まってるじゃないか。あ、君はパシフィックヴェジとホノルルハワイアンだったらどっちがいいと思う?チキンベーコンはもう決定なんだけど」

「そんなのどっちでもいいだろうがぁぁ!アメリカてめぇパーティー舐めてんのか!?あぁ!?」

 もともと沸点のそう高い方でないイギリスは今のアメリカの発言に完全に切れた。フランスも「あいつにとっての俺のプロデュースした料理はデリバリーのピザ以下なのか……?」と頭を抱えて懊悩している。しかし、アメリカは一向に悪びれた様子も無く、「なーんだどっちでも良かったのか」と溜め息を吐いた。

「食べる時になって文句言われたら敵わないからさ、なるべく君の好きそうなやつにしようと思ったんだぞ。悩んで損しちゃったよ」

「は……?え?」

 アメリカがさも当然の事のように語る夜食のメニューの選択に、何故イギリスの意向が関係あるのだろうか。
 理解不能な展開について行けず、すっかり怒りの勢いを削がれたイギリスはきょとんと大きな瞳を瞬かせたが、自分がアメリカの言動の所為ですっかり取り乱してしまったことに今更のように気が付くと、きまり悪げに咳払いをひとつした。

「ま…まぁ、遅刻は感心しないが、今夜は無礼講ということで多目に見てやる。―――アメリカ合衆国、貴国の参加を認めよう」

 さっさとフロアに出ろ、とイギリスは尊大に首を振る。彼のその仕種で会場内は再びぴりりと心地良い緊張感を取り戻した。

「それでお前が指名するパートナーは……」

「ああ、その前にさ、言っておくことがあるんだぞ!」

 イギリスの言葉を途中で遮ったアメリカは、「皆も聞いてくれ!」と会場のゲスト達を振り返った。

「まず、俺はこの慈善企画の趣旨に大いに賛同する。その証しとして合衆国はダンス全曲分の、更に五倍の額を寄付させてもらうことにする!」

 高らかに宣言された内容に、会場は一気にわぁっと湧いた。アメリカが世にも押されぬ世界の頂点に君臨する経済大国であることは周知の事実であるが、それでも彼の大盤振る舞いの発言に、場内は俄然盛り上がりを見せる。

「勿論、生徒会としては異論はないよね?」

 肩越しにイギリスを振り返ったアメリカは問答無用とばかりに彼の瞳を見返す。チャリティーの収益が増えることは歓迎すべき以外の何物でもない。イギリスは鷹揚に頷いた。

「合衆国の善意は無論、ありがたく受け取らせていただく。―――ではそろそろパートナーを指名してくれ、アメリカ。時間も迫っているからな」

 この若い超大国がまず最初に誰を指名するのか、会場中の視線が一斉にアメリカに集まる。全曲踊るなら早くしろ、と促されたアメリカは、再び―――イギリスの正面へ向き直った。

 いつも前だけを真っ直ぐに見据える、傲慢で純粋なスカイブルー。その瞳が真摯な熱を帯びたかのように見えたのはほんのごく一瞬、次の瞬間アメリカは唇に精悍な笑みを上らせると、大きく息を吸い込んで、ただ一人の人の名を高く宣言した。

「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland!!」

 空気を切り裂くような快活さで響いたのは、紛れもなく目の前で緑の目を見開いている、この学園のトップの男の名だ。

「俺が指名するのは君だイギリス。俺は全曲、君をパートナーに指名する」

 アメリカの声が一言一言をゆっくりと告げるのに合わせて、場内には空気が振動するほどの驚愕とざわめきが巻き起こった。
 名指しされたイギリス本人は勿論、フランスやオーストリアといった、滅多なことでは動じない欧州の古豪たちも驚きに言葉を失っている。うねりのようなざわめきが満ちる空間でアメリカは悠然と立ち、「イギリス、返事は」と彼に問うた。

「へ…返事も何も、お前、一体どういうつもりだ。冗談も大概にしろ」

 理解できないと喘ぐように疑念の意を顕わにしたイギリスは、白い膚にじわりと怒りの色を上らせる。先日の言い争いの報復に、公衆の面前で揶揄われたと受け取ったのかもしれない。実際、そう思われても仕方がないほど、アメリカの言い出したことは突拍子もないことだった。
 だが、アメリカの視線はイギリスの怒りを正面から受けても、ほんの僅かも揺らがない。

「冗談なんかじゃないよ。俺は本気だ」

「だったら何の酔狂だ。……大体男同士で踊るなんて有り得ねえだろうが。マナー違反にもほどがある」

 本気なら尚悪い、と対峙した視線を逸らしたのは、イギリスの方が先だった。その時、彼がそっと唇を噛んだことに気が付いた者は、この会場の中に一体どれだけいただろう。だが、彼をずっと見つめていたアメリカはそれを見逃さなかった。

「酔狂じゃないよ。君を揶揄ってるわけでもない。それに、俺が君を指名するのには、君だって文句の付けようがない、正当な理由があるんだぞ!」

「理由……?」

 訝しげに呟いたイギリスが目線を自分に戻したのを確認すると、アメリカは満足気に大きく頷く。場内の視線は誰一人欠けることなく二人に注がれていたが、アメリカはそんなものの存在は端から気にも留めていない。彼は眉間を寄せるイギリスとは対照的に、自信に溢れた表情さえして見せた。

「そう、大事なのはあくまでもチャリティーなんだ。型に捉われて大義がなされないなんて、それこそ本末転倒だと思わないかい?善意が実現されるならなんだっていいじゃないか!それに、さっき『今夜は無礼講だ』って言ったのは君自身だぞ、イギリス」

 指摘されたイギリスはぐ、っと言葉に詰まった。 そしてアメリカの言葉を後押しするように、ゲスト達の中からは彼に好意的な歓声がそこかしこで上がる。もとはアメリカの遅刻を流す為の言葉ではあったが、皆の前でそれを言ったのは確かだ。

「それに、何より俺がダンスに参加するとなると、どうしても避けられない重大な問題があるんだよ」

 アメリカは急に真面目な顔で深刻そうに頷くと、そこで漸く背後の観衆の方を見た。

「俺はさっきも言ったように全曲ダンスに参加する。でも、そうすると当然、俺の相手をしてくれるパートナーが必要になるよね。それも全曲分。考えたら結構な人数になると思わないかい?」

 アメリカが言い出した事は奇抜でもなんでもない、至極当たり前の内容だった。彼の言う通り、踊るには当然女性のパートナーが必要だ。そして、体力が有り余ってるアメリカは全曲ぶっ続けで踊っても何の問題もないかもしれないが、女性はそういう訳にはいかない。必然的にアメリカは何度もパートナーを取り替えて複数人の女性と踊ることになる。それをアメリカは重大な問題、と評した。

「……お前の言ってることは分かるが、どうしてそれが問題なんだ?」

 首を傾げたイギリスに、アメリカは「わかってないなぁ」とあからさまに呆れてみせる。そして忘れちゃったのかい?と薄情な人を非難した。

「国の性別は男の方が多いって、前に俺にそう言ったのは君だろう。俺が全曲踊るってことは、毎回誰か一人女性を独占するってことなんだぞ。そうすると必然的に踊れない男が一人出ることになるじゃないか」

 そこでセーシェルはあ、と小さく声を上げた。隣を見上げると同じ事に思い当っていたらしいフランスと目が合う。アメリカが言ったことは、あの日、イギリスが彼に冷たく投げつけた言葉に違いなかった。アメリカは今それを逆手にとって、理論的にイギリスに詰め寄っているのだ。

「俺の所為で踊れない人が出るなんて、そんなのはヒーローにあるまじき行為だ。ましてやチャリティーなんだから参加者は多い方が良いに決まってるよね」

 踊れるメンバーが増えれば寄付も増える、そう言ったのも確かにイギリスだった。自分でも自覚があるだけに、流石の毒舌家のイギリスも先程から反論できずにいる。

「でも、だからってパートナーの女性を他に譲る為に俺が参加しないんじゃ、それはますますヒーローの行いに反するだろう?参加できる人が沢山増えて、尚且つ、俺も全曲踊れるのが一番理想的なんだ。だったら」

 アメリカはあの真摯な熱を瞳に甦らせて、挑むようにイギリスを見つめる。

「君が俺のパートナーになってくれればいい!君が女性パートも得意なのは、誰よりも俺が一番良く知ってるんだからね!」

 そう言い切ったアメリカの名弁舌に、会場は同調するように興奮で湧いた。未だ一言も発せず立ち尽くすだけのイギリスの側で、「やるじゃないの若造が」とフランスが大笑いをする。そして、相変わらず周囲の反応を物ともせずに、アメリカは力強い足取りで歩を進めイギリスのすぐ目の前に立つ。至近距離でアメリカの顔を見上げる形になったイギリスに、アメリカは得意気に笑った。

「どうだい、主催者の生徒会長サマ。何か反論はあるかい?一応聞いてあげてもいいんだぞ。受け付けないけど」

「……それって言っても意味ないんじゃねえか」

「そうだぞ。最初からYES以外の返事は認める気はないからね!あ、言っておくけど君が断ったらその時点で俺は帰るから。当然ダンスにも出ないし、寄付の話も取り消すぞ」

「な…っ!?お前、汚ぇ!」

 何がヒーローだ!と喚こうとしたイギリスの口を、アメリカは問答無用とばかりに大きな掌で塞いだ。まったく予測していなかった行動に、イギリスは目を白黒させて固まってしまう。

「何言ってるんだい。俺は君が冷たくて忘れっぽくて薄情で、おまけに気が強くて計算高くて傲慢で、可愛げなんてちっとも無いにも拘らず、ヒーローらしくものすごい譲歩をしてるんじゃないか。君だって少しは協力的になるべきなんだぞ」

「は、なせよ!」

 大人しくしてる(させられてる)のをいいことに、アメリカはイギリスの悪口をつらつらと好き放題に論う。必死にもがいてアメリカの手を外したイギリスに、フランスは可笑しくてたまらないというように「坊ちゃんの負けだよ。素直に認めな」と背中を叩いた。

 多少噎せて咳込みながら、イギリスはフランスをじろりと睨んだが、完全に他人事のフランスはひらひらと手を振って笑うばかりだ。半ば八つ当たり気味にフランスに喰ってかかろうとすると「イギリス」と呼ぶアメリカの声に意識を引き戻される。そして―――驚愕に零れそうなほど目を見開いた。会場のあちらこちらからも黄色い悲鳴が聞こえる。アメリカは何の躊躇いも無く、見惚れるほどに堂々と、イギリスの前に跪いたのだ。

「イギリス、もう一度言うよ。俺は本気だ。俺は君とじゃなければ踊らない。―――Mr. Scarlett. 返事は?」

 このチャリティーの見本にした往年の名画のヒロインの名を捩られて、イギリスは悔しげにぼそぼそと反論する。

「誰が『緋色の衣の君』だ。俺が着てるのが赤いドレスに見えるか」

 そんなに赤いドレスが見たいんだったら今度フルドレスで殴りに行ってやるから予定空けとけ、と物騒なことまで言い出す始末だ。本当どうしようもない人だなぁ、とアメリカは苦笑いをする。似合うのは知っているが、イギリスの赤い軍服姿には複雑な思いがあることを、目の前のこの人は考えたこともないに違いない。ならばアメリカがすることは彼を追い詰めることだけである。

「そんなの何の問題もないんだぞ!だって映画のダンスシーンでは彼女は喪服の黒いドレスを着てたじゃないか。ちょうど今の君みたいなさ」

 他の女性達のように色鮮やかでも華もなく、膚を最小限に隠した衣装であるのに、映画の中のヒロインは誰よりも魅惑的な存在感を放っていた。漆黒の、禁欲的なテイルコートをきっちりと着込んだイギリスのように。

 的を得たアメリカの言葉にイギリスは再び言葉に詰まる。困惑気味に寄せられた眉にアメリカは少しだけ笑って、そして、表情を改めた。まるで大切なものを見るような瞳でイギリスを見上げたアメリカは、秘密を囁くようにゆっくりと口を開いた。

「『ダンスの出来ない男は役に立たない』」

「お前……!」

 覚えて、と呟いたイギリスの言葉は掠れて声にならなかった。

「お得意のダンスと外交で世界中を騙くらかしてきた策士のイギリス。君は目的の為なら敵の大将とだって踊れるんだろう?……だったらさ、君の為でも俺の為でも大義の為でも……理由はなんでもいいよ。ここで、俺と踊ってみせて」

 俺を、役立たずのヒーローにしないでくれ。

 迷いなく差し出された掌は、あの頃イギリスがダンスの稽古をつけてやった少年のものとは違う―――大きな、男のもの。権謀術数巡らされる議場で、あるいは戦場で銃を握って。自らの手で戦って道を切り拓いてきた、男の掌だ。

「―――立てよ」

「え?」

 俯いたまま、差し出された手を見つめていたイギリスがぽつりと呟く。アメリカが聞き返す間もなく、「いいから立てって」とイギリスはアメリカの手首を掴むと強引に引き上げた。

「イギリス?」

「……俺は女じゃねえんだ。跪く必要なんかない。男が男に、簡単に膝を折るな」

 そう言うや否や、イギリスは掴んでいたアメリカの手首を離すと、そのまま彼の上着の胸倉をぐいっ、と掴み上げる。

「大英帝国は自分から飛び出していった恩知らずには温情は掛けねえ―――途中で疲れたの背中が痛いの言っても止めてやらねえぞ」

「イギリス……!」

 若い光を湛える空色の瞳を至近距離で睨み返すと、イギリスは唇の端を吊り上げて不敵に笑った。

「今夜は踊って、踊って、踊りまくってやる。例え相手が敵国の大将でも……その国そのものであってもな!」

 掴んだ襟ぐりごと、ドン、とアメリカの肩を押すと、若い超大国は顔を喜色に輝かせながら「君こそ途中でへばらないでくれよな!」と先程の恭しい騎士のような仕種はどこへやら、やや乱暴にも思える無遠慮さで燕尾服に包まれた痩躯へと手を伸ばした。だが、黒衣のスカーレットはそれこそ望むところだと挑発的に笑って、するりと若者の腕の中に収まる。

 途端、ホールの中は今夜一番の歓声がわぁぁっっと湧き起る。既に台湾とダンスホールに出ていた日本は、「ドイツさん!あなたに特殊任務をお願いします!このデジカメの動画であの二人を…!!画質は勿論スーパーファインですよ!!」と修羅場中の指示出しの勢いでドイツに使命を託した。最も冷静だったのはオーストリアで、「楽団!曲の準備を!」とメンバーに声を飛ばす。楽団員が慌てて楽器を構えたのを見て、他のカップル達もそれぞれポジションに付いた。



 ―――私はあちらの未亡人と踊りたい!

 会場中の非難を浴びながら一歩たりとも譲らなかった男に、ヒロインは答える。

 ―――お受けしますわ!相手が貴方でも……例えあの憎きリンカーンでも!!今夜は踊って踊って踊りまくる!


 若い男の逞しい腕が、パートナーの細い腰をホールドする。凛と伸びた背中はしなやかではあるが紛れもない男のものだ。だがしかし、色とりどりのドレスの中で一際異彩を放つ漆黒の燕尾服のカップルは、ホール内の誰よりも堂々として美しい。
 彼等は曲が始まる寸前に視線を交わし合うと、共犯のように笑った。―――まるで映画の中の、二人のように。

name
email
url
comment