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21

 ちりちりちりん、と白い手袋に包まれた手が時を告げる小さなベルを振るわせると、それを合図に楽団は奏でていた演奏をぴたりと止めた。
 逆に観衆達の間では高揚と期待に満ちたざわめきが漣のように起こる。しかし、華奢なベルを鳴らした手の持ち主が一歩中央に踏み出すと、会場は水を打ったように静まり返った。会場中すべての視線を一身に浴びながら顔色一つ変えず、まるで午睡から起きた獅子のように優雅でありながら油断ならない眼差しで、イギリスは場内をゆっくりと見回した。

「お集まりの諸君にはご足労感謝する。―――楽しんでもらえているだろうか」

 そのイギリスの言葉に応えるように、生徒達の一角から口笛交じりのご機嫌な快哉が上がった。イギリスはそれに軽く手を上げて応えると、再び群衆に向き直る。

「こうして何事も無くシーズンを終えられるのも諸君のお陰だ。生徒会を代表して礼を言う。今宵はそんな諸君らの労を労う為に設けた晩だ。存分に寛いでいって欲しい」

 大して張り上げてもいないのに、イギリスの声は滔々とホール内に響き渡る。場内からはあちらこちらで歓迎の拍手が起こった。

「また、諸君も承知だろうが―――これよりここでボールルームダンスを執り行う」

 彼がそう告げるや否や、待ってましたとばかりにわっと歓声が上がった。途端に色めき立った会場の空気とは逆に、セーシェルの背中にはぞくぞくっと緊張が走る。フランスが小声で「深呼吸して」と片目を瞑って笑った。

「予てから伝えてある通り、これは慈善事業の一環として開催されるものだ。踊る者は一曲ごとにパートナーを指名してもらうが、今回はその指名料を寄付として提供してもらう。収益金はすべて生徒会が責任を持って慈善団体へ送る。これに関してはいずれ正式な収支報告を行う予定だ」

 そこまで話すと、イギリスは傍らのフランスに視線をやった。心得ているとばかりにフランスは一歩前へ進み出る。

「俺と、そして副会長のフランスは、踊る踊らないに拘らず、今夜演奏されることになっている全ての楽曲の分について寄付をさせてもらう。また、俺は主催なので今回ダンスは遠慮させてもらうが、代りにフランスが一曲目を除いてアテンダントを務める。……申し訳ないが、この場にいるレディにはヤツへの慈悲をお願いしたい」

 隣に立ったフランスがイギリスの言葉に「酷っ!お前、それはヒドイでしょ!」と非難の声を上げたが、イギリスはそれを華麗に無視した。今夜のフランスの役目であるダンスアテンダントとは、踊る相手のいない女性の為の男性のことである。フランスは一曲目はセーシェルと踊るが、それ以降は自分からパートナーを求めてはならない。つまり、女性からのお声掛かりがない限り、彼は踊ることが出来ないのだ。本来は女性が壁の花にならない為の役割であるが、彼女たちの名誉を重んじて、イギリスは敢えてフランスの憐れを誘うような言い方をしてみせた。
 そんな会長の暴言から早々に復帰したフランスは、「麗しいマドモアゼル達、是非よろしくね」と女生徒がより大勢集まっている方へ向けて気障な仕種でキスを投げた。きゃあっと花が咲いたような黄色い声が上がったところからして、どうやらフランスは今夜一人きりにならずには済みそうである。

 そしてイギリスは顔の前でパン、と手を打ち鳴らした。

「では、これより一曲目の参加者を募る。諸君の、より多くの参加を心より歓迎する」

 ざわっという熱気とともに、観衆の視線が一気にホールの空いた中央スペースへと注がれた。皆の関心は、まずは誰がこの先陣を切ってここに踏み出すかである。女性達はくすくすと笑いながらお先にどうぞ、と互いを小突き合っている。既に約束を取り付けている男女も多いのにも拘らず、周りを牽制してなかなか一人目が名乗り出ない。ざわめきが一際大きくなったところで、大理石の床をかつんと革靴の底が叩いた。

「……まったく、このような場で躊躇しているなんて、とんだお馬鹿さんたちですね」

 嘆かわしい、と背後に広がる観衆を一瞬だけ睥睨すると、オーストリアは流れるような足運びでダンススペースを大きく横切った。彼が立ち止ったのは、勿論、薔薇色のドレスを着た女生徒の前である。

「フラウ ハンガリー。どうか私に貴女のお相手を務める光栄を」

 貴族的に跪き、彼の芸術品のような掌を差し出されたその女生徒―――ハンガリーは、頬をドレスと同じ薔薇色に染めると、「はい。喜んで、オーストリアさん」と言って互いに視線を交わし、彼の手に自分の手をそっと重ねた。

 今夜の大本命ともいえるカップルの登場に、会場は更なる興奮と歓声に包まれた。オーストリア達に倣うように、場内のそこかしこで次々に参加表明の声が上がる。フランスも「じゃあ俺たちも出ようか」とセーシェルを促して中央に進んだ。

「わ、吾輩はリヒテンシュタインと踊るのである!」

 瞳の色と同じ、エメラルドグリーンのイブニングドレスを着たリヒテンシュタインとともに現れたのは、彼女の兄のスイスだった。二人は生徒会長のイギリスに参加の申請をするとダンスフロアに進み出る。見た目はまるで人形のように可愛らしいカップルだが、それが見た目だけであることは、兄のスイスを知る者ならば誰でも分かっていることである。

「よいか、皆聞くのだ!この妹と踊ろうという輩は必ず吾輩の了承を得るのだ!見事吾輩を倒すことのできた気概のある者のみ、特別に許可してやる!それ以外は吾輩の銃の標的となると思え!」

 ダンスの許可からすわ決闘かというスイスの啖呵に一部の男子生徒から恐怖の悲鳴が上がった。恐らくリヒテンシュタイン狙いだったのだろうが、今夜、彼等の前にはかのマッターホルンよりも高くて厚い、限りなく越えられない壁が立ちはだかっている。文字通り命懸けで挑まなければあの可憐な少女のパートナー権は得られないだろう。

「お兄様、そんなに心配なさらずとも、私は大丈夫ですわ」

「いや、お前はまだ世界の恐ろしさを知らんのだ。だが安心しろ、お前のことは吾輩が必ずま、ま、守ってやるのである」

「はい、お兄様。ありがとう存じます」

「う、うむ!」

 見た目だけなら本当にお人形さんなカップルである。兄の方はキリング・ドールであるが。

 すると、スイス兄妹の登場でざわついていたフロアに、また新たなカップルが現れた。……というより、明らかに女生徒に引き摺られるようにして現れた男子生徒は北の大国・ロシアだった。彼を些か強引にぐいぐいと引っ張っているのはプラチナブロンドの美しい、彼の妹ベラルーシだ。
 二人の衣装はやや古風なものだったが、長身の彼等が纏うとそれはそれでこの場に似つかわしい、クラシックな趣きあった。しかし、いつもは子供のようににこにこと笑って泰然とした様子を崩さないロシアが、傍目にもかなり憔悴して見える。反対に彼の手を引くベラルーシは至極上機嫌のようだ。ちょっと……いや、かなり怖いお姉さんなので、セーシェルは彼女と話したことはないが。

 一同、少し遠巻きに北の兄妹カップルをフロアに迎え入れたが、そんな彼等に遠くから手を振る女性が居る。二人が気が付くと、彼女は更に大きく手を振った。

「ロシアちゃーん!ベラルーシちゃーん!二人ともとっても可愛いわよ〜」

「ね、姉さん」

 二人を呼んだのはロシアの姉のウクライナだ。相変わらず羨ましいくらいボリュームのあるバストを清楚なドレスに包んでダイナミックに揺らしている。彼女は弟妹たちに「お姉ちゃんも踊るから、二人もがんばってね〜」とエールを送る。
 しかし、彼女の姿を見てほっとした様子を見せたロシアとは対照的に、ベラルーシはキッとウクライナを睨んだ。

「ちっ。そうやって油断させて兄さんと踊ろうとしてるんだろうがそうはいくか!今夜兄さんは全曲私と踊るんだ!姉さんは邪魔するんじゃない!!」

「べ、ベラルーシ。何も姉さんはそんなつもりで言ったんじゃ……」

「そうですよロシアさん!ウクライナさんのことは僕に任せて、今日は思う存分妹さんの相手をしてあげてください!」

 そうロシアに言ったのはウクライナのパートナーのエストニアだった。フランスは羨ましそうに「そうか、あの二人は合唱部繋がりだったか…。エストニアのやつ、上手くやりやがって……」と会場の男性陣の声を代弁した。

 得意気なエストニアを見て少しはいつもの調子を思い出したのか、ロシアはコルコルコルと不穏な囁きを漏らす。

「ねぇエストニア。刺激の無い順風満帆な人生なんてつまらないよ?君はもっと苦労とか謙虚って言葉を身をもって知るといいと思うな」

 僕が手伝ってあげようか?うふふと笑うロシアの周囲の空調が、ぐんと下がったように感じるのは気のせいだろうか。しかし、ベラルーシがロシアをしっかりとホールドしている為か、エストニアは強気の姿勢を崩さずに親指をぐっと立てる。

「その点はご心配なく!こうして巨にゅ…ウクライナさんと向かい合ってるだけで十分刺激的ですから!……あぁ、ペット達に頼んで巨乳対策しておいて本当に良かった……」

 エストニアの後半の呟きは意味不明だったが、尚も彼にちょっかいを出そうとしていたロシアに「兄さん!刺激的な人生が欲しいなら私と結婚!結婚しましょ!!」とベラルーシが激しく迫った為、とりあえずこの場はそれ以上の問題には発展しなかった。

 そうしている間にも、他にも申請を済ませた数組の男女が続々とフロアに集まり出す。その中には先程イタリア兄弟からパートナーを申し込まれたベルギーの姿もあった。しかし彼女をエスコートしている生徒は、イタリア兄弟とは似ても似つかない、強面の長身の男性だった。髪をワックスで立てた彼は一見怖そうだが、ベルギーとは親しげな雰囲気だ。フランスは彼がベルギーの兄のオランダだと教えてくれた。

 広いダンスフロアが大勢のカップルで埋まり出したところで、イギリスとフランスは視線を交わして頷き合う。

「諸君の善意に心から感謝する。―――人数も定員に達するのでそろそろ希望を締め切るが……」

 そこでごく数秒の間、イギリスの視線が何かを探すように会場内を彷徨った。だが、逡巡はほんの一瞬で、彼は諦めたように小さく息を飲み込むと、躊躇った言葉の先を続ける。

「では、これで第一曲目の参加者を締め切ることにする。まだフロアに出ていない希望者は次の二曲目に―――」

「―――Mr. Chairman!ちょっと待つんだぞ!」

 高らかな声がホールの高い天井に響き渡る。一体何事かとざわりと騒がしくなった生徒達の合間を縫うように、その声の持ち主は主催者である生徒会長を、冴え渡った空色の瞳でひたりと見据えていた。

「アメリカ……!」

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