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 透き通るように淡い薄紙に包まれていたのはセーシェルのための白いドレスだった。
 ネックラインが深く空いた、所謂ローブ・デコルテスタイルのドレスは、どこにも柄がほどこされていないまったくの無地だったが、その生地は触れるのも躊躇われるほど上質なものだった。セーシェルは恐る恐る箱の中に手を入れると、ドレスのボディの上部を両手でそっと持ち上げた。本物の正絹の重みを感じながらゆっくりと引き上げつつ立ち上がる。箱から解放された裾が衣擦れの音をたてながら、おごそかにふわりと広がった。唯一の装飾は、ウエストの後方からスカートの裾に向けて流れる幅の太いリボンがたった一本だけ。ドレープを打つように施されている。しかし生地の上等さと仕立ての完璧さがそれ以外の無駄を一切拒む、圧倒的な美しさを誇っていた。

 セーシェルの傍で感嘆の眼差しでドレスを見つめていたハンガリーとリヒテンシュタインにそっとそれを差し出すと、二人は「いいの?」と確認した後、壊れ物を扱うような手つきで大切そうにドレスを受け取った。

「良い生地ねぇ。リヨンで織ったものかしら?」

「仕立ても素晴らしいですわ。セーシェルさんが着たらとってもお似合いだと思います」

 さすが宮廷文化の華開いたヨーロッパ出身の二国だけあって、ハンガリー達はセーシェルには皆無な審美眼でもって早速和気藹藹とドレスの品評を始めた。

 ごくごくシンプルなデザインは確かにイブニングドレスの体を成しているが、裾の丈だけが完全なフルレングスのロングドレスに比べるとやや短く作られていた。素材もシルク・シフォンのような柔らかいものではなくしっかりとした張りが有る生地で、着た時にスカートに適度なボリュームが出て足元に纏わりつきにくいようになっている。ダンス初心者で足捌きに自信が無いセーシェルが踊りやすいように仕立てられたのに違いなかった。

 箱を開けた瞬間から緊張しっぱなしだったセーシェルは、ドレスを二人に渡すとようやくその張り詰めていた糸が緩んで肺の中から大きく息を吐き出した。何しろ生まれて初めてあんなドレスを手にしたのだ。嬉しい、という気持ちより驚きの方が勝って、未だ目の前で二人が手にしているそれが自分のものだなんていう実感はとても湧いてこない。フランスさんも黙ってないで言ってくれればよかったのに、と照れくささもあってちょっと拗ねたように思ってしまう。

「あ、そうだ、手紙」

 フランスのことを思い浮かべたのと同時に、テーブルの上に置いたままになっていた封筒の存在を思い出したセーシェルは、箱を包んでいた包装紙とリボンを脇に除けると、香りの良いその封筒から見知った字の連なる便箋を引っ張り出した。

 「お兄さんの可愛いセーシェルへ」その書き出しを目にした瞬間、ドレスを贈られたことへの感謝も吹き飛んでセーシェルは「げっ」、と顔を顰めた。しかし文句を言っても文字は消えてはくれないので、我慢して読み進めることにする。実はセーシェルは現宗主国の言語よりもフランス語の方が読み書きが得意なのだ。必要以上に装飾過多の、流線美が踊るような旧宗主の筆跡を相変わらずだなあと思いながら目で追いだしたセーシェルだったが、彼女の眉尻がまるで困った身内を見るように―――そして少し嬉しそうに下げられたことに、彼女自身も気付いてはいなかった。

 ――――お兄さんの可愛いセーシェルへ。 この一年間生徒会の仕事と、それから今度のパーティーでのダンスの練習を頑張ってくれたセーシェルにご褒美だ。これはお兄さんと、あとあの横暴眉毛生徒会長からのプレゼントだけど、よかったら受け取って欲しい。


「えっ?イギリスさんも?」

 手紙の中に突如現れたイギリスの名前にセーシェルは思わず声を上げた。フランスと同様―――もしくはそれ以上に彼はセーシェルを気遣っている素振りなんて見せなかったのに。

 ――――ドレスは二人から。本当は全部メイド・イン・お兄さんにしたかったんだけど、あいつがどうしてもって聞かないから仕立てだけはイギリスのところに譲ってやったよ。それから別の箱はもう見たかな?靴はお兄さんがドレスに合わせて選んだんだよ。

 別の箱、その部分を読んだセーシェルははっと顔を上げた。ドレスの箱の他に小さいものが二つ、まだテーブルの上に載せられたままになっている。慌てて一つを開けると、中にはフランスの手紙にあったように白い靴が一足納まっていた。
 ドレスに合わせて誂えたかのようなその靴は、室内の照明を受けてつやつやとした上品な肌を光らせる。取り出して見てみると思いの外踵が低かった。高いヒールでは踊りにくいだろうと考えてフランスはこれを選んでくれたのだろう。低くめのヒールであってもちっともカジュアルには見えず、気品をまったく損ねていないデザインがいかにもフランスらしかった。
 手紙には当日までに何度か履いて慣らしておいたほうがいいとアドバイスが書いてある。ちょっと勿体無いけど、早速この練習から履いてみようとセーシェルは思った。

 フランスからの手紙はまだ続きがあった。

 ――――それからもう一つの箱は坊ちゃんからだ。中身は教えて貰えなかったからお兄さんも知らない。本当はセンス抜群のお兄さんが選んだほうがいいに決まってるんだけどね。ま、装飾品には煩い坊ちゃんが一生懸命選んだものらしいから、きっとセーシェルに似合うものが入ってるでしょ。

 フランスはともかく、あのイギリスが自分の為に何かを一生懸命選ぶなんて図は想像しても欠片も浮かんでこないが、手紙によるとどうやら残された最後の箱はイギリスからのものらしかった。先程の靴が入っていたものに比べると約半分ほどの大きさをしたその箱は、手に取ってみると一体何が入っているのか想像もつかないほど軽い。まさか空だったりして、と一瞬疑ったが、以前ドイツだかイタリアから、プレゼントを開ける前に欲を出すと中身が空っぽになってしまうという不思議な箱の話を聞いたことがあったのをふいに思い出した。
 それに、とセーシェルはリボンを解く手を止めて冷たい汗を流す。中身が空っぽなだけならまだいい。しかし相手はあのイギリスだ。箱を開けた瞬間に怖いお化けが沢山飛び出してきたり、白い煙が出てきておばあさんになってしまったらどうしよう。

 解きかけのリボンを手にしたまま不自然にぴたり、と動きを止めてしまったセーシェルに、今までハンガリーとドレスに夢中になっていたリヒテンシュタインが「どうなさいました?セーシェルさん」と声を掛けてきた。

「その箱が何か?よろしければ開けるのお手伝いしましょうか?」

 まったくの善意に満ちた澄んだ瞳で尋ねてくるリヒテンシュタインに、セーシェルはとんでもないとぶんぶんと首を横に振った。

「り、リヒテンシュタインさんをおばあさんにするわけにはいきません!」

「は?おばあさん?」

 不思議そうにことりと首を傾げたリヒテンシュタインに、セーシェルは覚悟を決めてリボンを解き、開封作業を再開した。受け取ったのは自分なのだから責任は取らなければならない―――!
 イギリスが知ったら激怒どころでは済まなそうなことを心で叫ぶと、セーシェルは目をぎゅっと瞑ってえいやっと小さな箱の蓋を開いた。

「―――――?」

 とりあえずお化けや何やらが出てきた気配がないと察したセーシェルは、そろそろと薄眼を開けてその箱を観察する。どうやら煙も出て来てはいないようだ。
 箱の中身はドレスと同じく繊細な薄紙に包まれている。それを一枚一枚剥がしていくと、中から現れたのは―――大きな一輪の花だった。

「えっ、これって花……ですよね?」

 幾重にも重なる白い花弁をはらりと開かせる大輪の花は、たった今摘み取られたように瑞々しく、ほんの少しも傷んだり、萎れたりしているようなところはなかった。だが、入っていた箱は紙で出来ているし、どこにも水のようなものが入っている形跡はない。なんの魔法だろうと上から下からと矯めつ眇めつしていると、後ろで見ていたハンガリーが「あ」と声を出した。

「セーシェルちゃん、それってひょっとして本物じゃないんじゃないかしら?」

 そう言ってセーシェルから花の入った箱を受け取ったハンガリーは中にじっと目を凝らすと「やっぱり」と目を輝かせた。

「これ、凄くよく出来た造花だわ。――――マグノリアの」

 そう言ったハンガリーは箱の中から白い花をそうっと掬い上げると、それをセーシェルの両掌に乗せてくれた。
 両手で持っても零れ落ちそうなくらいに大きく咲き誇っているその花―――マグノリアは、実際に手で触れてみると確かに生花とは違う感触を伝えてきた。花弁ひとつ、花軸ひとつそのどれもが本物と見紛うほどに精巧に作られていて、ちょっと見ただけでは殆ど区別がつかない。そっと指先で花びらをなぞってみると、絹の吸いつくような手触りがした。一つ、二つと散らされている透明なスワロフスキー・クリスタルの小さなストーンが、まるで朝露のようにキラキラと光を弾いている。香りがしてこないのが不思議なくらいだった。

「あ、セーシェルちゃん、中にカードが入ってるわよ」

 ほら、と差し出されたそれは、先程のフランスのものとは明らかに異なる、だが見覚えのあるカリグラフィーのお手本のような筆跡で「To Seychelles」と書かれていた。ハンガリーに一時花を預かってもらい、セーシェルはそのカードをぱらりと開いた。

 ――――パーティーの時にドレスに付けろ。言っておくが、仮にも英国の植民地にみすぼらしい格好をさせる訳にいかないからであって、これはお前の為なんかじゃなくて俺の為なんだからな!

 末尾の送り主の署名は「From United Kingdom」―――このカードの文面で別の名前が書かれていたらいっそ驚きである。
 花を預かってくれていたハンガリーがその裏側に細いピンが縫い付けられているのを見つけた。どうやら造花はコサージュとして作られたもののようだ。ハンガリーはリヒテンシュタインが持ったままだったドレスの左の胸元に器用な手付きでそのピンを留める。作り物のマグノリアの花が本物以上の存在感をもって、華やかにデコルテに咲いた。

「すごい……まるで本物のようです」

 間近で見ていたリヒテンシュタインが感嘆の溜め息を漏らした。セーシェルは突然の思いがけないサプライズにまだ実感が追い付かず、ドレスと、手元に握った二人分のカードと手紙との間で何度も視線を彷徨わせた。
 そんなセーシェルの顔をハンガリーが「でもよかったわ、間に合って」と覗き込んできた。

「え?」

 きょとんと瞬きをしたセーシェルにハンガリーは悪戯が成功したようにふふふと笑う。

「実はフランスさんから頼まれてたのよ。セーシェルちゃんが先に自分でドレスを買っちゃわないように見張っててくれって」

「そ…そうだったんですか?」

「ええ。フランスさんたちはパーティーの開催が決まってからすぐにオーダーしたみたいだったんだけど、納期が間に合うかはかなりギリギリだったんですって。でも予定では明日一緒にセーシェルちゃんのドレスを買いに行く約束をしてたじゃない?あの二人からは口止めされてるし、もし今日中に届かなかったらセーシェルちゃんになんて言い訳しようかってハラハラしてたのよ」

 そう言われてみれば、フランスにはこの週末にハンガリーとパーティー用の買い物に行くことを話した覚えがあった。その時のフランスは特になんでもない風を装っていたが、内心はかなり慌てていたのかもしれない。仕立てはイギリスの方に任せていたという話だから、二人してテーラーを急かしまくった可能性もある。

「あ、あの人達……人の知らないところで一体何やってんですかね」

 イギリスもフランスも、休日返上で寝る暇がないほど忙しいくせに、裏ではセーシェルに内緒でこんなものをこっそり用意していたのだ。おまけにハンガリーまで巻き込んで。まんまと嵌められたような気がして、ついつい悪態めいたことを言ってしまうが、頬に上る熱とむずむずする口元は誤魔化しようが無かった。

 フランスの手紙の最後はこう締めくくられている。

 ――――白いドレスはデビュタントの一回のみに許される特権だ。きっとセーシェルによく似合うだろう。このドレスを着たセーシェルをエスコートできるのを楽しみにしているよ。―――フランスお兄さんより、愛を込めて――――


 デビュタントは正真署名、人生で一回きりだ。それは人ではなく国であるセーシェルにとっても変わらない。フランスとイギリスは、よりもよってそのたった一回だけの為に着るドレスを多忙の合間を縫って準備してくれたことになる。まったく―――なんて人達だろう。

 セーシェルはダンスに参加すると覚悟したものの、パーティーが近付いてくると正直少しだけ憂鬱な気分になることがあった。当日なんてまだ来なければいいのに、と思う反面、早く通り過ぎてしまえばいいと思うこともあった。
 このパーティーが終われば、セーシェルがずっと楽しみにしていた夏休みに入る。学業からは解放されるし、何より島に帰れるのが本当に待ち遠しかった。だが、そのはずだったのに今は学校を離れることがなんだか名残惜しく感じる。この学園の人達と当分の間会えなくなってしまうことがすごく寂しい。

 あとでちゃんとドレスの御礼言わなくちゃ。それから夏休み明けに皆に配る予定のお土産も忘れないようにメモをとった方がいいのかもしれない。漫研の日本さんにドイツさんとイタリアさん、今回すごくお世話になったハンガリーさんとリヒテンシュタインさん、鬼コーチだったけど特訓してくれたオーストリアさん。それから携帯を探すのを手伝ってくれたアメリカさん。そしてイギリスさんとフランスさんにも。

 真っ赤になった顔でぎゅっとカードと手紙を握りしめたセーシェルを、ハンガリーとリヒテンシュタインはいつまでも微笑ましく見つめていた。

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