13
見慣れた女子寮の門が視界に現れるとセーシェルはラストスパートをかけた。
遠泳と素潜りで鍛えた肺活量、ここで活かさずにどうするとゴール目指して一直線に駆け抜ける。装飾の凝った鉄扉を走ってきた勢いで押し開いて、そのまま寮のエントランスに駆け込んだ。左に見える階段を上ればセーシェルの部屋がある棟なのだが、今は荷物を置いてくる時間も惜しい。セーシェルは迷わずハンガリーが待っているはずの談話室へ続く奥の廊下へと方角を定めた。
「あ、セーシェルちゃんお帰りなさい」
エントランスの待機スペースに設置されている椅子から立ち上がった人影は、軽やかにセーシェルに向かって手を振った。待ち合せの約束をしていたハンガリー本人である。
「すっ、すみませんハンガリーさん!待たせちゃいましたよね、ごめんなさい…!」
いつまでも来る気配のないセーシェルを心配して、ハンガリーはわざわざエントランスまで出て来て待っていてくれたのかもしれない。そう思うと心の底から申し訳なくて、セーシェルは日本が言うところの平身低頭でハンガリーに謝った。
だがハンガリーはまったく気にしている様子もなく、逆に「セーシェルちゃん走ってきたの?大丈夫?」とセーシェルが息を整えるのを気遣わしげに見守ってくれる。
「少し休む?それともお水貰ってきたほうがいいかしら?」
「だ…大丈夫ですハンガリーさん。それより本当にすみませんでした!」
「ううん、実はそんなに待ってないのよ。ここに居たのはセーシェルちゃんに早く知らせたいことがあったからで……」
「え?」
ダンスの練習とは関係なく、何かセーシェルに伝えることがあってハンガリーはここで待っていたらしい。彼女は楽しい秘密を打ち明けるようににっこりと笑みを深めた。
「ついさっきね、セーシェルちゃん宛てに荷物が届いたの」
「荷物?え?私にですか?」
ハンガリーの言葉を聞いてセーシェルはますます首を傾げた。セーシェルに荷物を送ってくれるような人と言えば、それは殆ど自国の仲間に限定される。しかし、あと一週間もしないうちに夏季休暇で島に帰ることになっているセーシェルに一体何を送ってきたのだろうか。
予想外の出来事に目をぱちくりさせていたセーシェルだったが、ハンガリーはセーシェルの手を取ると、「荷物は談話室に運んであるの。ね、早く行きましょ」と先を促して歩きだした。気がつくとセーシェルの鞄はいつの間にかハンガリーが持っていた。彼女は実にさりげなくこうした気遣いをするところがあって、まるでヨーロッパの男の人みたいだと思うことが少なくない。ハンガリーはれっきとした淑女であるのにセーシェルは時々それが不思議だった。
「荷物は一つだけじゃないの。私一人じゃ運びきれなかったから、ちょうど通りかかったリヒちゃんにも手伝ってもらっちゃった」
「リヒテンシュタインさんもですか?」
小柄でまるでお人形さんのような少女の姿を思い浮かべる。そのリヒテンシュタインは今談話室でセーシェル達が戻るまで荷物を見ていてくれているそうだ。今日は本当に色んな人に助けられてるなあと思いながら、セーシェルはハンガリーの後に続いて談話室の扉を潜った。
「ハンガリーさん、セーシェルさん」
部屋の奥でぱっと顔を上げた少女が鈴を鳴らしたような可愛らしい声で二人の名を呼んだ。
「リヒテンシュタインさん、あの、私の荷物を運んでくれたみたいで、どうもありがとうございました」
駆け寄るなりお礼を言うと、リヒテンシュタインはふるふると首を振った。短い髪に結んだ濃紺のリボンが彼女の仕種に合わせてふわりと揺れる。いつ見ても砂糖菓子のように愛らしい少女だ。
「いいえ。お役に立てたのなら良かったです。それに荷物は殆どハンガリーさんが運んでくださったんですよ。私は本当にちょっとお手伝いしただけで……」
「でもリヒちゃんがいてくれて助かったわ。両手が塞がったままだと扉も開けられないもの」
「お、お二人とも、本当にありがとうございました!!」
今日何度目になるか分からない謝罪とお礼を繰り返しながら、セーシェルは島に帰ったらこの二人には必ず何かお土産を買って帰ろうと心に決めた。
「それでセーシェルさん、お荷物はこちらにまとめておきました」
リヒテンシュタインの傍らには、いつも部屋の中央に置かれているテーブルがあった。どうやらダンスの練習の為にハンガリーが予め部屋の隅に寄せておいたようで、その上には綺麗にラッピングされた箱が大小とりまぜて三箱きちんと重ねて置かれていた。
だが、その箱を見ても、セーシェルの疑問は解決するばかりか余計に大きくなるばかりだった。箱はどう見ても品の良い、一目で高級店とわかるようなラッピングが施されていて、丁寧にリボンまで巻かれている。国から送られてくる荷物ならこんなことは有り得ない。しかし、セーシェルにはこんな―――まるでプレゼントのようなものを贈ってくれる相手など、どんなに頭を捻っても心当たりがなかった。
おっかなびっくり近寄ってみると、その中で一番大きな箱(高さは然程なく平たい長方形をしているのだが、とにかく一抱えくらいのサイズがある)のリボンに一通の白い封筒が挟まっているのが見えた。流れるような筆記体で「Mademoiselle les Seychelles」と書かれていて、微かにアイリスの香水の匂いがする。ここまでヒントが揃えば鈍いと言われるセーシェルでもさすがに検討がついた。
「もしかしてフランスさん?」
封筒を抜き取ってまじまじと見つめるセーシェルに、ハンガリーとリヒテンシュタインは顔を見合わせてふふふと微笑んだ。セーシェルに分かるくらいなのだから、ヨーロッパの国である彼女たちには贈り主が誰であるか既に予想がついていたのだろう。だがしかし―――セーシェルにはフランスからこんなものを貰う理由が思いつかない。確かにダンスのご褒美にアイスクリームをご馳走してもらう約束はしたが、これらの箱はどう見てもアイスとは到底無縁そうだった。呆気にとられて封筒と箱の間で視線を往復させていると、ハンガリーが待ち切れないというようにセーシェルを急かした。
「ね、ね、セーシェルちゃん。よかったら開けてみない?きっとすごく良い物が入ってるわよ」
「あ、え、ここでですか?」
するといつもは控え目なリヒテンシュタインも、星のような目をきらきらとさせてこくこくと頷いてくる。
「私もセーシェルさんがよろしかったら是非中を拝見させていただきたいです。どうか開けて見せてくださいまし」
二人から期待の眼差しで見つめられて少し緊張したが、セーシェルは頷くととりあえず手前の一番大きな箱を引き寄せてサテンのリボンをするりと解いた。普段なら包装紙など特に気にもせずびりびりと破いてしまうのだが、アイボリーの地に繊細な金の印刷がされているその紙を無造作に破り捨ててしまうのはなんだか躊躇われた。ブランドのロゴらしき型押しがされている金色のシールを、爪の先を使ってそっと剥がす。クリスマスのプレゼントを初めて貰った時にだってこんなことしなかったな、とそうっとそうっと包装紙を外していくと、中から顔を出したのはやはり上品なアイボリー色の箱だった。
大きな蓋を両手で抱えると、ハンガリーとリヒテンシュタインが思わず、といったふうに身を乗り出してきた。三人で視線を交わして―――そしてセーシェルは蓋を外した。かさり、という薄紙の音が耳をくすぐる。
「――――わぁ、綺麗……!」
声に出したのは誰だったか。しかし、その言葉は等しく三人が思い浮かべたものだった。
「ドレス……?ひょっとしてダンスパーティー用の……!?」
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