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 先程のカナダの言葉によると、彼が社交界に出たのはアメリカの独立後だという。米英戦争ではカナダはもう一人前の士官として戦場に立っていたのだから、時期としてはちょうどその間になるのだろう。
 確かに、その頃のイギリスは血相を変えてアジアの制圧に乗り出し、ヨーロッパではフランスぶちのめし隊と共同戦線を張って大喧嘩をしていた。自国では産業革命の真っ盛りだったし、名実ともに大英帝国がその栄華を誇っていた時代だ。いくら家族として大切にしていたとはいえ、植民地の英才教育に英国である彼自らが割く時間はほとんどなかっただろう。

 でも、とアメリカはちらり、とカナダの様子を伺った。本当の理由はそれだけではないはずだ。それはアメリカが一番よく理解している。
 イギリスはアメリカの独立以降、植民地に対する政策方針をがらりと転換した。宗主国と被支配国の境界を明確にし、植民地たちが決して宗主たる彼に歯向かわぬよう徹底的に厳しく振舞った。カナダはそれなりに手心を加えられたようだが、それでもまるきり昔のまま、という訳にはいかなかったのだろう。

 ひゅん、と飛び出したカナダの髪の毛も、今は元気を失ってしゅんと項垂れている。いつも側で温もりを分け合っている相棒の白クマがいないこともあって、カナダは一層寂しそうに見えた。

「オーストラリアもニュージランドも僕と同じだったはずだよ。インドは……ちょっと文化が違いすぎてよくわからないけど。ああ、そういえば香港くんは不満そうだったなあ」

 アジアの経済特区の名をあげて、カナダはくすくすと小さく思い出し笑いをした。彼はカナダに「大哥はあんなに踊れるくせに一度も稽古つけてくれないなんてズルいっす」と口を尖らせたのだと言う。英領傘下に置かれた者達は皆、初めての夜会で宗主の踊る姿を目にしてその技量に驚き、そして似たり寄ったりの不満を抱くというのが慣例になっていた。

「でも、僕達は皆イギリスさんからあの言葉をかけてもらった。君は意味を教えてもらった?」

「―――いや、でも後で思い知ったよ」

 ダンスの出来ない男は役には立たない。それが議場でも戦場でも。

 イギリスの言った言葉は真実だった。独立後、自由と引き換えに英国の後ろ盾を失くしたアメリカは、何処へ行っても新興国―――ただの田舎者の扱いを受けた。
 伝統と文化を重んじる欧州では、まっとうな礼儀作法を身につけていなければそもそも一人前として扱ってもらえない。アメリカにはまったく不必要だと思えるような宮廷での煌びやかなパーティーも、実のない会話も、立ち居振る舞いも、それがクリアーできなければ会議のテーブルに着席することさえ認められないのだ。野蛮人とは同じテーブルにはつかない、それが欧州のやり方だった。
 アメリカがどんなに足掻いたところで、交渉の席にさえ呼んでもらえないようでは話にならない。アメリカはそれまでは英国の息のかかった国として、植民地ながらにそれなりの扱いを受けてきたが、イギリスの手を離れた後、彼は成り上がりの新参者にすぎなかった。欧州ではあの独立戦争さえフランスとスペインの手柄だと評価されていた。アメリカはそんな古豪たちの喉笛に噛みつくために、独立後、切り捨てたはずのイギリスの文化を一から学び直す必要があったのである。
 ダンスもその一つだった。むしろそれこそが最も重要だった。海外からの公式な使節団は、外国に入るとまずその国の歓待を受ける。その席上でいかに優雅に、文化人らしく振る舞えるかが、その後の交渉に大きく作用した。誰も味方の居ないヨーロッパで、時にはイギリス本人からも歴史も伝統もない田舎者よと蔑まれながら、アメリカは何度も何度もイギリスが過去自分に告げてくれたあの言葉を胸の中で繰り返してきた。まるで祈りの言葉の様に。


「戦場で、っていうのは、むしろ今の軍に入ってから思ったね。組み手の演習での足捌きとかさ、あれ意外とダンスの呼吸に似てるんだよ」

 イギリスはあれで案外素手での接近戦がやたらと強いのだ。相手の間を読むのに秀でているからだと今ならわかる。まったく、子供たちの前では紳士の皮を被って、とんでもない元ヤンだ。

 イギリスはわかりやすく態度では示さないが、彼はいつだって自分の子供達のことを気に掛けている。他国に侮られないように、この世界で胸を張って生きていけるように。そしてそんなイギリスの愛情を他のどの国よりも受け取ってきたのがアメリカだった。

 カナダと二人でイギリスの話をしていると、どうしても擽ったさが込み上げてくる。アメリカが普段イギリスには決して悟らせないようにしている、自分の中の大切で幸せな記憶が心を温めて―――同時に古傷をも疼かせるからだ。

「君は贅沢だよアメリカ。僕達の誰だって一人もイギリスさんに教えてもらったことがないのに。イギリスさんと踊れないからダンスに出たくないなんて、唯一の教え子がそんなこと言ってていいのかい?」

 君が踊るのイギリスさんもきっと楽しみにしてると思うよ、とカナダはそう付け出した。

「っていうか、僕はてっきり君はイギリスさんを無理矢理にでも誘うのかと思ってたんだけど。君ってば自分がルールみたいに勘違いしてるところがあるし、空気も読まないし」

「あのさカナダ、前からちょっと思ってたんだけど、君は一体俺をどういう認識で見てるんだい?」

 持ち上げたかと思ったら落したり、この兄弟はアメリカに対して本当に容赦がない。しかしカナダはアメリカの抗議もものともせずに「えっ、だって君んとこの映画って主人公がヒロインを攫ったりとか、そんなのばかりじゃないか」ときょとんとした表情で返してきた。

 長年アメリカの隣ですごしてきた所為か、カナダのヒーロー像というものも大分アメリカナイズされて―――わかりやすく言うとハリウッド的に歪んでしまっているところがある。
 確かにカナダの言う通り、アメリカのヒーローものの映画ではお約束的に主人公がヒロインを助け出すシーンが多い。それが悪漢の手から奪い返すというシチュエーションならばまだいいのだが、ともすると結婚式場から花嫁を攫ってエンド、というどっちが悪役だか判別のつかないようなものまであるのだ。(しかしこの花嫁強奪エンドは世界的名作として語られている。)
 つまりカナダの思考では、主人公はヒロインを攫って(奪って)ナンボ、という偏った図式が出来上がってしまっているらしかった。だから、ヒーローを自称するアメリカは当然このパターンでイギリスをダンスに引っ張り出すと思っていたらしい。

「……君の発想って、俺でも時々びっくりするんだぞ」

「え?そう?」

 本気で首を傾げているカナダにアメリカは思わず溜め息を吐いた。

「大体さ、あの人がヒロインって柄かい?気が強くて傲慢で計算高くて、可愛げなんてちっともないじゃないか」

 好きなくせに彼の悪口となるといくらでも出てくる。そしてそれらが全て事実であり、世界の共通認識だということも。我ながらなんて悪趣味なんだい、と常日頃から思っているが、きっとそれは全部イギリスの所為だと責任転嫁するのも最早慣れっこだ。

 だが、カナダはそんなアメリカに殊更のんびりとした口調で超スローのデッドボールを投げてきた。

「でも、今度のチャリティーのお手本にしたっていう君んとこの映画のヒロイン。彼女ってまるでそんな感じじゃなかったっけ?」

 カナダの言うことがあまりにも的を得過ぎていて、アメリカは思わずぐっと言葉に詰まった。カナダは先刻のアメリカが言ったイギリスの悪口については否定しなかった(むしろさりげなくそのまま肯定した)が、確かに彼の言う通りだった。

 今回採用されたチャリティーの方式は、アメリカが誇る名作のダンスパーティーのシーンから参考にされたものだった。
 アメリカ南部の大農場主の娘であるヒロインは、とにかく傲慢で気が強く、恐ろしいほどの計算高さを持ち合わせた可愛げの欠片もない女性だ。だが、それらの欠点をも凌ぐ美貌と、何より情熱的な彼女の生き様は作中の男性陣だけではなく、スクリーンを越えて世界中の男達を虜にした。

 意に沿わぬ結婚をした上に突然未亡人になってしまった彼女は、愛してもいない男の喪に服さねばならぬ日々に鬱々としていた。
 まだ若く美しい娘を憐れに思った母親は、アトランタで開催される軍のダンスパーティーの手伝いに彼女を参加させる。彼女は喪中ゆえ踊ることは許されないが、それでも良い気晴らしになるだろうと。
 軍のチャリティーの名目で開かれたそのパーティーには南部の名士淑女が顔を揃えていた。そして主催者により余興が発表される。お集まりの皆さん、どうぞダンスの相手を競り落としていただきたい。そしてそれを南軍への援助として寄付しようではありませんか。

 ――――私はこのレディに二十ドル!

 ――――ならば私はこちらのご婦人に二十五ドルだ!

 次々に告げられる指名の声と沸き起こる歓声。そしてここでついに真打ちが現れる。

 ――――私は金貨で百五十ドル!

 あまりの大金に会場は一層の興奮に包まれる。その寄付を申し出た男はこの戦争で財をなした成り上がり者。粗野で危険な男で、だがこの会場にいるどの男達よりも金持ちで―――美しい男だった。
 思わぬ大金の申告に大いに喜んだ主催者は男に尋ねる。「では、あなたの指名するお相手は?」

 ――――それはあちらの未亡人だ!

 男が指名したのは喪服のヒロイン。それも二人は先日大喧嘩をしたばかりだというのに。

 途端に困惑のざわめきが巻き起こった場内で、主催者は慌てて言った。「あの女性は喪に服する身。ダンスのお相手はできません。どうか他の女性をお選びください」

 だが男は聞く耳を持たない。

 ――――あちらの未亡人だ!彼女とでなければ私は踊らない!

 そしてヒロインの返答は―――――。


「政府軍にいた君にはちょっと複雑な映画かもしれないけどさ、あの映画は僕もお気に入りなんだ」

 アメリカ史上最初で最後とも言われた内乱をテーマに描かれた作品であり、今やハリウッド映画の代名詞の一つともなって語られる伝説の名作である。当時、確かにアメリカ自身は北の政府軍に属し、己を二分する戦いに文字通り身を引き裂かれるほどの苦痛を味わったが、南北問わず、あの時代アメリカに生きていた全国民の不屈の精神が、今の合衆国の繁栄を築き上げたのだと強く信じている。

「俺にとってもあの映画は全世界に誇れる大作だよ。俺と言う国の成り立ちを何一つごまかさずに描いてくれてる。今みたいにCGも特殊効果も使ってないけど、あんなに素晴らしい映画は現代でだってなかなか作れない」

「『こんな豪華な映画は二度と作れない』ってすごい宣伝文句だったじゃないか。キャストも凄かったよねえ。ヒロインを演じた女優さんはイギリスさんのところの人だったんだよね?」

 この映画でアカデミー賞を受賞し世界中から愛された大女優は、やがてハリウッド大通り六七七三番地―――名声の歩道の星型のタイルにその名を刻まれた。

「原作者は俺の国の国民だったんだぞ。それに主演の女優がイギリス人だって関係ないよ。世界中の人が彼女のことをハリウッド女優だって思ってるんだからさ」

「本当に君は素直じゃないよね……」

 性懲りも無く強がったアメリカをカナダは呆れたように見遣ったが、「でもあのダンスのシーンは良かったよね」とほわっと笑った。

「会場中の人達がみんな非常識だって反対してるのに、『彼女だけだ』って言い張ってさ。すっごくカッコよかったなあ」

「なんか君の方こそどうしちゃったんだい、カナダ。クールかクールじゃないかで判断するなんて君らしくないんだぞ 」

 むしろそれはヒーローを自認するアメリカの専売特許だ。「俺のセリフを取らないでくれよ」と理不尽に拗ねてみせると、カナダは「えぇ〜、そんな横暴な……」と抗議した。

「だったらさ、君がさっさと君らしくすればいいじゃないか。いつまでも一人でうじうじしてるなんてらしくないよ、兄弟」


 燃えるような緑の瞳を持つその映画のヒロインの名は『緋色の衣』。それは転じて英国高官そのものを指す言葉としても使われる。美しく傲慢で計算高い―――だが他者を魅了せずにはいられない人。

 彼女と世界の超大国の意中の相手との間には何故か恐ろしいほどに共通点が多い。イギリス人で対外的には政府の高官という立場で(というより英国そのもので)、おまけに性格が極悪だという手のつけられない人。そしてこの世の誰よりも美しい至上の緑の瞳を持っているとアメリカが信じて疑わない人。

 彼女と同じように、今回のパーティーでは彼もダンスに参加する予定はない。だが映画の中でヒーローは微塵も躊躇わず彼女を指名した。だったら世界のヒーローはどうするべきか?

 突然目が覚めたようにアメリカははっと顔を上げた。隣のカナダはまさか自分の言葉が相手を焚き付けてしまったとはまったく気付かずに、そんな相棒をのんびりと見つめていた。

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