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「あれってコーラだよね?あんなに振ったら蓋を開けた時大変じゃないかなあ」

 唐突に去った豆台風をひらひらと手を振って見送っていたアメリカの傍らから、よく知っている小さな声がのんびりと話し掛けてきた。あれ?と思ってきょろきょろとその声の主を探すと、アメリカの座っているすぐ隣のベンチに待ち合わせの相手がいつの間にか腰掛けている。彼はセーシェルが鞄と一緒に盛大にシェイクしてしまっているコーラの悲惨な末路を、ほわほわとした口調で心配した。

「カナダ!一体何時からいたのさ?それにしても君ってば遅いよ!何やってたんだい?」

 反してアメリカはカナダの二倍の速度と五倍の音量で一息にまくしたてた。カナダは「え……、何時って、僕結構前からここに居たんだけど……」と消えそうな声でのんびりと抗議する。見ると、今日はいつもカナダと一緒にいる白クマがいなかった。夏になったからクマ吉さんには先に国に戻ってもらったんだ、ということだそうだ。そうか、だからいつにも増して彼の存在に気付きにくかったのかもしれない。

「まあいいや、それよりあの本持って来てくれたかい?」

 カナダの会話のペースに付き合っていたら日が暮れてしまう。過去の経験からそう危惧したアメリカは、早々に目的の用件を切り出した。
 アメリカが今回カナダに頼んだのは、選択科目で取った第二外国語の課題図書だった。先日の試験で及第ラインの、まさに線上を綱渡りして落ちそうになったアメリカは、小レポートの提出を条件に辛くも追試を逃れることに成功した。その課題として示された何冊かの本のタイトルのうち、読み易いものをカナダが持っていると言うのでそれを借りる約束をしていたのだ。ちなみにカナダがその科目を履修していたのは去年の前期だ。彼も同じ本を使って課題をやったことがあるという裏情報まで仕入れたアメリカは、本と一緒にそのカナダのレポートごと譲り受けるという密約を交わしていたのだ。

「はい、これだよ。言っておくけどくれぐれも丸写しだけはしないでね。バレたら僕だって怒られちゃうんだから。あと、来期の数学の課題を手伝ってくれるっていう約束忘れないでよね」

「オーケーオーケー、とりあえずこれで助かるよ。サンクスカナダ!」

 二人の育ての親が知ったら怒りそうな契約だが、子供たちはいつだって大人の目を掻い潜らなければ大きくはなれないのである。物事は常にギブ・アンド・テイク、実に素晴らしい。

 収穫のブツを早速リュックに放り込んだアメリカは、そこで何か思い出したように「あ」と声を上げた。

「君にあげようと思ってコーラを買っておいたんだけど、さっきセーシェルにあげちゃったんだよ。本とレポートのお礼はまた今度でいいかい?」

「だからお礼は僕の数学手伝ってくれればそれでいいんだってば……。コーラのことは知ってるよ、だって僕ここで見てたもの。女の子に親切にするのはいいことだから気にしないよ」

「え?君、そんなに前からここに居たのかい?」

「さっきからそう言ってるじゃないか!セーシェルさんも僕に全然気づいてくれないし……」

「君、彼女と面識あったのかい?」

「僕と彼女は同じ英連邦だよ!」

 半泣きの目でぎっと睨まれてはアメリカもホールドアップするしかなかった。普段は存在を感じさせないほど穏やかなカナダだが、何故かアメリカに対してだけは怒りだすと止まらなくなるところがある。早目にクールダウンさせないとこちらが危険だということは、長い付き合い上、身に沁みてよくわかっている。今は仲裁してくれる人もいないわけだし。

 条件反射で彼の顔が浮かんでしまい、アメリカは胸の中で苦笑いをした。彼等英連邦の宗主と絶賛喧嘩中なのだとカナダが知ったら、それこそ三時間の説教コース間違いないだろう。ましてやそもそもの原因が自分の勘違いだったとつい先程知ってしまったばかりだ。イギリスはセーシェルにダンスの指南もしていなければ、パーティーでは踊る予定さえないのだという。アメリカ最大の懸念事項はすべて杞憂に終わったわけだが、逆にますます和解が困難になってしまったような気がする。全面的に非を認めて謝れたら話は早いが、そうするとどうしてあんな言い掛かりめいたことを言ってしまったのか説明しなくてはならないだろう。それは困る。本当に困るのだ。

「……アメリカ?君どうしたんだい?」

 放っておけばマシンガントークのアメリカが急に黙り込んでしまったのでカナダは少し不安になった。(これはアメリカを心配したのではなく、自分の存在が忘れられてしまったのではないかという不安である。カナダは会話中にも関わらず目の前の話し相手に見失われることがよくあるのだ。)
 だがアメリカはそんなカナダに「ああ、うん」と生返事を返しただけで、相変わらず肘をついたままどこかぼんやりした様子だった。おざなりとは言え、とりあえず返答があったことに安堵したカナダは、「さっきから聞いてると、なんだか今日の君はいつもと調子がおかしいよ」と首を傾げた。

「ダンスに出るとか出ないとかはっきりしないしさ。目立ちたがり屋でいつも人の輪の中心にいないと気が済まない君がそんなこと言うなんて天変地異の前触れじゃないだろうね?まさか景気の二番底があるなんてもうやめてくれよ。僕んところは隣だからすぐ影響でちゃうんだから……」

「……カナダ、心配してくれてるっていうよりなんだか更にボディブローを食らった気分なんだけど」

 君、日本からヤツハシってやつを分けて貰うといいんだぞ、と恨めしげにじとりと視線を送ったがカナダはそのくらいではびくともしない。悲しいかな、ある意味アメリカのワガママに一番慣れっこになっているのはカナダなのだ。

「……ダンスは出るよ。出ないわけにはいかないだろう?だって俺は世界の盟主、アメリカ合衆国なんだぞ。自由の国にも果たさなくちゃならない義務と責任がある。君だってそうだろう?」

 世界各国から忘れられがちであるが、れっきとしたG8メンバーに名前を連ねる隣国は、「うん、僕も英連邦の子達と踊る予定だけど」とおっとりと肯首したが、そこであることに気が付いた、という風にアメリカを見た。

「そうか、君は一緒に踊りたい人がいないからダンスに出たくないんだね」

「カナダ」

「イギリスさん踊らないんだって?でも生徒会長だし、今回は仕方ないかなあ」

 これまで誰も指摘しなかったことを、一片の気まずさも無くのほほんと言い当てられて、アメリカは今度こそがくりと肩を落とした。
 君、一体どこから聞いてたんだい、と思ったが、さっきコーラ云々の場面を見ていたと本人は言っていたので、つまりはセーシェルとの会話の一部始終を聞かれていたということだ。まあ、カナダとはイギリスを間に挟んで切っても切れない間柄ということから、自分の彼への気持など殆ど知られてしまっている。今更取り繕う必要もないのだが、自分のごく個人的な、つまりヒーローにあるまじき嫉妬やら独占欲やらをあっさりと見抜かれるというのはなんとも居心地の悪いものだった。
 そう、アメリカはセーシェルやカナダたち英連邦の宗主であるイギリスがパーティーで誰と踊るのかをずっと気にしていたのだ。彼が誰と踊ってもアメリカは面白くない。かといって男女がペアになることが大前提のダンスでは勿論自分からは誘えない。そして自分自身も望んでもいない誰かと踊らなくてはならない―――これらの不満要素がすべて鬱積した結果があの八つ当たりだった。我ながらヒーローにあるまじき行為だったと、アメリカはらしくなく後悔をしていた。


「……ダンスの出来ない男は役に立たない、だったっけ?懐かしいね」

 ふいにカナダがゆっくりと口を開いた。

「イギリスさんの口癖だった」

「なんだ、カナダ、君も言われてたのかい?」

 視線を向けるとカナダは古いアルバムをそっとなぞるような声で、「うん、初めて社交界に連れて行ってもらった時にね」と告げた。

「イギリスが君を夜会に連れて行ったことなんてあったっけ?」

 しかし、アメリカにはカナダが社交界デビューをした時の記憶がなかった。例え隣国での出来事とは言っても、当時からして自分は兄を独占しようと四苦八苦していたのだ。カナダがイギリスと夜会に出掛けたなんて知ったら盛大な……その、やきもちを焼いただろうと思うのに。

 するとカナダはそこで少し寂しげに笑ってみせた。

「覚えてなくて当然だよ。僕が初めてイギリスさんと社交界に出たときには、君はもう独立しちゃってたんだから」

 ほんの少しだけ、ごくごく僅かに―――それこそカナダを良く知る者だけにしかわからないくらいに―――声音に非難の色を忍ばせたカナダだったが、今度ははぁ、と溜め息を吐いた。

「僕も最初は全然踊れなくて苦労したなあ」

「俺もだよ。でもイギリスにああ言われちゃ頑張らない訳にはいかないだろう?」

「ステップとか覚えるのすごく時間かかったし……」

「大体あれだけ何時間も踊っても平然としてるイギリスのほうが異常なんだよ!あんなに貧弱な身体してるくせにさ!第一女性のパートって殆ど背中を逸らしたままで踊るんだぞ。彼、よく腰痛にならなかったよね」

「でも、イギリスさんの踊る所を見るの、僕は好きだったなあ」

「……うん、それは俺もなんだぞ」

「堂々としてて、すごく綺麗で格好良かった。……アメリカ、君は覚えてる?陸軍のバザーか何かでダンスパーティーがあったよね。昼間だったから僕達も連れてってもらった」


 覚えている、勿論忘れるはずがない。あのときはイギリスとカナダの三人で街の陸軍病院が主催したちょっと大掛かりなバザーに出掛けたのだ。バザーと言っても当時は上流階級の社交場の一種みたいなものだったのだが、昼間だし子供にもいいだろう、ということでイギリスが連れ出してくれたのだった。
 アメリカとカナダは賑やかな所に遊びにいけるので大はしゃぎしたものだが、何より大好きなイギリスと一緒に出掛けられるのが嬉しかった。地元のご婦人お手製のクッキーやキャンディーを買ってもらい、それを頬張りながらあちらこちらの出店を見てまわった。このときばかりはイギリスも行儀や作法をうるさく言うこともなく、子犬のように転げまわる二人を微笑ましく見守ってくれていた。
 この時イギリスは気がついていなかったが、周囲の視線は紳士然と振る舞うイギリスに皆釘付けだった。(イギリスは敵意の視線には恐ろしいほど敏感だが、好意の視線にはこれまた恐ろしいほど鈍感だった。)今すれ違った女性もわざわざ振り返ってイギリスを見たし、先程子供たちに菓子を渡してくれた女性もしきりに彼のことを気にしていた。子供たちは小声で、「今の人もイギリスのこと見てたね」「イギリスさん格好良いもんね」「でもイギリスは俺達のイギリスなんだぞ!」と言い合っては自慢げにくすくすと互いを小突きあった。

 ところが、そんなアメリカの楽しい気持ちに影が差したのはイギリスがダンスへの参加を求められた時であった。バザーの主催者であるその土地の名士が顔見知りのイギリスを見つけ、是非とも一曲でいいから卿に参加していただきたい、と懇願したのだ。当然イギリスに断る理由は無く、子供達二人は主催者の妻であるという女性が一時見ていてくれることになった。
 会場では若く美しい貴人の登場にわっと歓声があがり、隣のカナダも「イギリスさんすごいねえ」と無邪気に喜んでいた。確かに、色とりどりの花の様なドレスのご婦人がくるくると可憐に舞う中で、それでも一番優美で一番目を引いていたのは紛れも無くイギリスだった。しかし、アメリカはそれを綺麗だと思いつつも、カナダの様に素直に称賛することはできなかった。同じ会場の中にいるにも関わらずイギリスが見ているのは自分ではないというのが、アメリカには非常に面白くなかった。おまけにイギリスは知らない女の人の手をとってあんなに楽しそうに踊っている。俺がいるのに、と歯痒く思ったアメリカは、きっとその時から既に彼をただの兄としては見ていなかった。


「……なんだか俺って彼に関してはあんまり進歩してないのかなあ……」

「どうしたんだい?」

「いや、こっちの話なんだぞ……」

 アメリカのちょっと情けない独り言をふうん、と聞き流したカナダだったが、「でも君はいいなあ」と唐突にアメリカを羨んだ。

「え?何がだい?」

「君はイギリスさんに直接教えてもらったんだろ?羨ましいよ」

「教えてもらったってダンスのことかい?そんなの……って、え、まさか君……」

 一瞬彼が何のことを言っているのか理解できなかったが、アメリカは言葉を発すると同時に徐々に目を瞠っていった。そんなアメリカにカナダはのんびりと頷いてみせる。

「うん、僕は先生はつけてもらったけど、イギリスさんからは直接教わってないよ。イギリスさん、あの頃はものすごく忙しかったから……」

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