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「待ち合わせ、ですか?」

「うん、相手はまだ来てないみたいだけどね」

 だから気にしなくていいんだぞ、と彼はけろりと笑った。そういえばこの中庭のベンチの辺りは学生がよく利用する待ち合わせのメッカだった。
 アメリカの待ち合わせの相手、それは誰なのだろう。もしかしてイギリスかとも思ったが、彼は今頃パーティーの準備の為にフランスときりきり業務をこなしているはずだった。それに隣にセーシェルが居てもアメリカがまったく気にする素振りを見せないのだから、きっと相手は誰に知られても構わないような当たり障りの無い人物なのだろう。ますますイギリスの線は薄い。
 こんなに二人の動向をいちいち気にしてしまうのは、やはり彼等には早く仲直りをして欲しいと思っているからだ。かといって一応何も知らないことになっているセーシェルが仲裁に入るわけにもいかず、それが目下の悩みの種だ。

 そんなことをセーシェルが考えているとは全く知らないアメリカは、残りのコーラをくーっと飲み干すと、少し離れたところに設置されているゴミ箱に、空いたペットボトルをバスケットのボールよろしく見事なシュートを決めた。
 わっと感嘆の声を上げるとアメリカは得意げににっと笑った。ぱちぱちと拍手を送ったセーシェルに「こんなの簡単なんだぞ」とピースサインで応えたアメリカは、「そういえば」とおもむろに続けてくる。

「セーシェルは今日は生徒会の方はいいのかい?今色々と忙しいんだろう?」

 セーシェルにとってこの問いは最早挨拶のようなものだ。生徒会のメンバーとしてすっかり定着したセーシェルは、放課後ともなると誰かしらに必ず生徒会の予定を聞かれるのが日課のようになっていた。本人にとっては実に嬉しくないことである。

「今日は私に出来る仕事はないんでもう帰ってもいいことになってるんです。フランスさんも今日は忙しいんでダンスの練習はハンガリーさんが付き合ってくれることになってますし」

「えっ、ハンガリーがかい?」

「そうなんです。ハンガリーさんって男性のパートも踊れるんですよ。前にもフランスさんが出来ない時に相手してもらったことがあって」

「前にも?前にも彼女が代役をしたのかい?フランスの?」

 あの時は思いがけずオーストリアに捕まる羽目になってしまい本当に大変だったと、過去の苦しい記憶を思い出してセーシェルは身震いしかけたが、ふと目の前のアメリカの様子が尋常でないことに気がついた。彼は目を瞠ってなんだかひどく驚いたような表情をしている。

「あの、アメリカさん?」

 何か突拍子もない事を言ってしまっただろうかと、そろそろと呼んでみると、彼は表情を崩さずに、おもむろに「……イギリスは?」と尋ねた。

「え?」

「フランスが駄目ならイギリスだっているじゃないか。彼はどうしてるんだい?」

 アメリカの口から突然イギリスの名前が出たので一瞬面食らったが、それ以上にアメリカが乗り出さんばかりの勢いで聞いてくるので、セーシェルはハテナマークを飛ばしながらもしどろもどろ説明した。

「え、ええとダンスの練習の相手はいつもフランスさんなんです。フランスさんが無理なときは大抵一人で自主練か、あとは今日みたいにハンガリーさんが一緒にやってくれて……」

「じゃあ、じゃあイギリスは君の練習にはノータッチってことなのかい?」

「あー…、あぁー…まあ、そうですね」

「でも本番は?なんだかんだ言って本番はイギリスとも踊るんだろう?」

 ますます食い下がってくるアメリカにセーシェルはつい反射的に後ずさった。両手で握ったペットボトルの中のコーラが振動でたぷんっと波立つ。なんだか最近こんな問答ばかり繰り返している気がする。

「あ、あの、イギリスさんは裏方なんでダンスはしないそうですよ」

「え!?」

「踊らないんですイギリスさん。私とだけじゃなくて誰とも」

 何を言われているのかよく分からない、というようにアメリカは一瞬凍りついたように固まったが、唐突に目元を掌で覆ってジーザスと呟き、ベンチの背凭れにがくりと寄りかかった。

 セーシェルの目の前で急速なアップダウンを繰り広げたアメリカは、それからも「俺の早とちりだったってことかい」とか「そうならそうとあの人も言ってくれればいいのに」などと独り言を呟きながら頭を抱えている。彼にしては非常に珍しいことになんだか自己嫌悪に浸っているようだった。イギリスとダンスの件についてはこれまでも何回か問われてきたことではある。日本やオーストリア達もそれなりに驚き、イギリスの不参加を残念がってはいたようだが、彼等と比べてみても今のアメリカの反応はそのどれとも違うように見えた。

 いつもの単純明快な彼はどこへやら、額を押さえてうんうん唸っているアメリカに、まったく訳が分からないセーシェルはすっかり取り残されてしまった。明らかに下降路線を辿っている場を取り繕おうと必死に何か彼に掛ける言葉を探す。

「そ、そうだアメリカさんっ。アメリカさんもダンスには参加するんですよね!?」

 お料理も豪華みたいですし楽しみですよね!と無理矢理にでも空気を盛り上げようとアメリカにも関心がありそうな話題を振ってみた。するとアメリカは顔を上げてセーシェルの方に意識を向けてくれたが、まだやや浮かない表情で「あー…それなんだけどね」とベンチに立てた膝に頬杖をついた。

「パーティーは出るつもりだよ。バケーションに入ったら皆ともなかなか会えないしね。だけどダンスは……正直、気が進まなくてさ」

「え!?アメリカさんダンスに出ないんですか!?」

「いや、一応形だけでも出ないとなぁとは思ってるんだけどね」

 その返答を聞いてセーシェルはますますびっくりした。人前に立って注目を浴びることが大好きなアメリカのことだ、彼は必ずダンスに参加するに決まってると当たり前のように思い込んでいた。ましてや彼は世界の超大国である。主催のイギリスはともかく、彼が出席しないなんて有り得ないだろう。
 それに、何よりアメリカの返事そのものがまったくもって彼らしくない。彼はこの学園の誰よりも物事の好き嫌いがはっきりしている人物である。もし本当に嫌なら「俺は出ないぞ!」くらい平気で言いそうなものなのだが、今の言葉の内容は「気が進まないけれど出ないわけにはいかない」と言ったようなものだ。すべてをyesかnoで両断してしまういつものアメリカは何処へ行ったのだろう。
 もしここに日本が居れば「アメリカさんも大人になったんですねぇ」と褒めたかもしれない。そして更にフランスが居たら「あいつはダンスに出ても本命とは踊れないからなあ…」と同情したかもしれない。どちらにしろ二人はここに居ないので、セーシェルは一人で悩むしかなかった。

「あ!もしかして踊るのが苦手とかそういう理由ですか?」

 それならば納得がいくような気がする。アメリカがいくら目立ちたがり屋でも、上手に踊れないのであればさすがに格好がつかないからだ。
 しかしアメリカは「いや?俺は踊れるぞ?」とセーシェルの予想をあっさり否定した。これにはむしろセーシェルの方ががっかりしてしまう。折角ダンス苦手仲間が増えたと思ったのに。

「はぁ……。なんか皆さん当たり前みたいに踊れるんですねえ……。あのイタリアさんでさえ踊れるって知ったときは本当にびっくりしました」

 そうしみじみ呟いたセーシェルに、アメリカも漸くいつもの調子を取り戻したのか「それってイタリアが聞いたら泣くんじゃないかなぁ」と言って声を出して笑った。

「だって私なんか今回初めて習ったのに、皆さん凄く上手そうなんですもん。アメリカさんだってそうなんでしょ?」

 いつもの奔放な様子からはちょっと想像がつきにくいが、よく考えれば運動神経はいいのだし、アメリカだってきっと上手いのだろう。ちょっとでも自分の仲間かと思って損したと拗ねたくなってしまう。
 しかしアメリカはなんだか微妙な―――ほろ苦いものを見るような、何か遠いものを懐かしむような目をしてこう言った。

「俺は子供の頃にかなり徹底的に仕込まれたからね。その人のお陰でこうして踊れる訳だけど、あれは今思い返しても大変だったなあ」

「アメリカさん、ダンスの先生がいたんですか?」

「先生……、うん、まあ確かに先生だよね」

 何かを思い出したのか、アメリカは堪え切れないようにくすくすと笑った。

「俺の先生は厳しい人でさ、でも教え方はすごく上手だったよ。姿勢なんか何時間踊っても真っ直ぐで本当に綺麗だった」

 アメリカがそこまで褒めるくらいなのだから、彼の先生という人は本当に上手な人だったのだろう。厳しい人だと彼は言ったが、きっとアメリカにとっては今でも忘れ難い人に違いない。その人の話をする時の彼の目が、まるで大切な人を見ているようにすごく優しい感じがするからだ。

 今セーシェルが四苦八苦しているように、当時のアメリカも上達するまでにはきっと沢山練習をしたのだろう。日本も最初はすごく大変だったと言っていたし、始めから上手い人なんて考えてみれば誰もいないのだ。私もがんばろう、とセーシェルはあらためて思った。


「――――ダンスの出来ない男は役に立たない」

「えっ?」

 急にあらたまった口調でアメリカはそう切り出した。その唐突な言葉の意味が分からず、セーシェルはぱちくりと瞬きをする。アメリカは軽く肩を竦めると、そのままぐん、と大きく伸びをした。

「俺の先生だった人の口癖だよ。なかなか手強いだろう?」

 簡単に言ってくれるよね。踊れるようになるまではかなり大変だったんだぞ。そう言いながらもアメリカはやはり柔らかい笑みを崩さなかった。

 アメリカの言う通り内容はかなり辛辣にも聞こえる言葉だった。つまりその先生が言うには、男の人はダンスが踊れなければダメということらしい。だからイタリアのようなお気楽人でもそれなりにちゃんとマスターしているのだろうか。わざわざ男と言ってるくらいなのだから女子ならば踊れなくても問題はないのだろうか。言葉自体が端的すぎてまったく解からなかった。

「アメリカさん、それってどういう……」

 意味ですか、と続けようとして、セーシェルは何気なく視界に入ったアメリカの腕時計を見てしまった!と思った。そういえばハンガリーと約束していたのをうっかり忘れかけていた。

「あああアメリカさん、今、今何時ですか!?」

 アメリカが答えるのを待てずに、彼の左腕をぐいっ、と掴んで、その逞しい手首に巻かれたコンバットカシオをものすごい勢いで覗き込んだ。
 アメリカは気に入ったものならばなんでもバンバン購入してしまうところがあり、腕時計もそんなアイテムの一つである。気分によって変わる彼のコレクションはカラフルなタイメックスや重厚な空軍仕様のクロノグラフなど顔触れは実にさまざまだった。しかし、今のセーシェルにはそんな時計のデザイン等に気を取られている暇はなく、とりあえず表示されているデジタルの数字を必死に目で辿った。

「に…にじゅにじごじゅういっぷん!?」

「セーシェル向きが逆だよ逆。今、三時二十二分だね。あれ?そういえばハンガリーと練習するって言ってなかったけ?」

「そそ、そうなんです!走ればまだギリギリでなんとか…!アメリカさん、あの、色々とありがとうございました!」

 少し遅れてしまうかもしれないが、ハンガリーとの約束の時間までには全力で走ればなんとか間に合いそうだった。
 アメリカの腕を時計ごとぽいと放り出して、セーシェルは鞄と飲み掛けのペットボトルを鷲掴んで抱え込む。慌ててがばりとアメリカに頭を下げて、そして女子寮目指して全速力で走りだした。

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