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 そこはまさに別世界だった。フランスの模範演技も華やかで美しかったが、オーストリアのワルツは高貴な気品に満ちている。イタリア始め各方面が絶賛したように彼のダンスは素晴らしかった。普段はおっとりとしていて楽譜より重い物など持ったことが無いという顔をしているオーストリアであるが、ハンガリーをリードする彼の姿はとても頼もしく見えて格好良い。一緒に踊っているハンガリーは既にそんなオーストリアに夢中のようだ。セーシェルでさえさっさと退避するという目的を忘れてしばし見入ってしまった。なるほど、日本が撮影がどうとか言っていた理由がわかった気がした。これは確かに見応えがある。

 まるで二人だけの世界、と言わんばかりに音楽を操るように優雅にステップを踏んでいた彼等だが、ふいにオーストリアがセーシェルの存在を思い出したように声を掛けて来た。

「ところで貴女はパーティーでは誰と踊るのですか?」

 ぼうっと見惚れていたところに呼び掛けられて、はっと意識が現実に戻された。オーストリアはそんな彼女の様子には一切頓着せずに「イギリスですか?それともフランス?」と尋ねてくる。

「は、はい、最初の一曲はフランスさんが相手をしてくれることになってます。イギリスさんは主催なんで踊らないそうですよ」

 寄付だけは全曲分するって言ってました、とセーシェルは付け加えた。イギリスもフランスも実際に踊る踊らないに関わらず演奏される曲数の分だけ寄付をすると決めているようだ。世界中が不景気の最中でもそこはさすが先進国、太っ腹である。

「パートナーの指名権を買う、だなんて本来ならばお下品なことです。まあ、でもしかし時には余興も大切……たまにはこういうのもいいでしょう」

 厳格なゲルマン系もチャリティーという名目があれば多少の遊び心は容認するようだ。
 ターンに合わせてハンガリーの髪がふわりと揺れる。喋りながら踊っているのに、彼等の動作にはまるで澱みがない。ステップを追うだけで必死なセーシェルとは雲泥の差だ。

「しかし、イギリスはダンスには参加しないのですか……それは少し勿体無い様な気がしますね」

 おや、とセーシェルは思った。ここでもまたイギリスの名前だ。ヨーロッパの国々が口を揃えて彼のダンスを褒めるが、果たして彼は一体どれほど上手いのだろう。

「でもオーストリアさん、パーティーの見所は何もダンスだけじゃありませんよ。ほら…例えば皆さんのフォーマル姿とか」

 オーストリアさんのテイルコート、久しぶりで楽しみです、とハンガリーは表情をうっとりとさせた。女性はともかく男性の正装なんて誰も彼も黒づくめで大して変わらないのに、というのがセーシェルの見解だが、どうやらハンガリーには彼女なりの拘りがあるようだ。彼女のこういう趣味趣向は何故か日本ととてもよく似ている。

「そう言うハンガリー、貴女はもうパーティーの装いは決めたのですか?」

 オーストリアの問いにハンガリーはぱっと表情を輝かせたが、すぐに恥じらうように「当日まで内緒です」と言ってうふふと微笑んだ。その可憐さと言ったら男性ならば誰もが虜になってしまうほどだ。だが肝心のオーストリアは(少なくとも見た目は)涼しい顔で「では楽しみにしていますよ」などと告げている。フランスやその友人相手には割とヒステリックな言動を見せることもあるが、女性の前では妙に物慣れた態度を彼は見せる。女性に囲まれて育ったか、もしくは意外と経験豊富なのでは、とセーシェルはつい無粋なことを勘繰った。(実はその勘は両方とも当たっているのだが、無論セーシェル本人はそのことを知る由も無い。)

「セーシェルちゃんは?」

「えっ?」

「セーシェルちゃんは何を着ていくかもう決めた?」

「へ?わ、私ですか!?」

 くるん、とターンを決めたハンガリーのスカートの裾が綺麗な弧を描く。しかしセーシェルは突然振られた話題に目を白黒させた。

 そう、パーティーに出席するならば程度はともかくドレスアップをして行かなければならない。事前に発表されたドレスコードでは、ダンスに参加する者に限り、男性はホワイトタイかブラックタイと定められている。当然女性はそれに準じた装いが求められる。ただし、パーティーの趣旨はあくまで生徒の慰労会ということになっているので、そこまで厳密にコードを守らなくてもよいとの注釈があった。もとは踊るつもりがなかった者でも、途中から飛び入りでもダンスに参加しやすいようにとの配慮である。要はカジュアル過ぎなければ問題無いということだ。

 だがセーシェルはまがりなりにも主催である生徒会メンバーとして参加することになっているのだ。いくらなんでもお洒落着のワンピースでは障りがあるだろう。しかし、だからと言ってセーシェルは正式なドレスなど一着も持っていない。今までダンスのことにばかり集中していて衣装の事などすっかり失念していた。

「そういえば着ていく服のことなんて何も考えてませんでした」

「あら?本当に?」

「ど、どうしましょう。私ドレスのことなんて全然わからないです。誰かに相談とかした方がいいでしょうか?」

 一年を通して夏気候でありリゾート地としても有名な自国では、セーシェルは基本的に動きやすさ重視のシンプルなワンピーススタイルで過ごしていた。これまでお洒落にはとんと無頓着で、イギリスからは「女の自覚を持て」と言われ、フランスからは「素材はいいのに…」と嘆かれ続けながら育ってきたのだ。先程中庭で見かけた女生徒達が開いていたようなファッション誌など一度も手に取ったことがない。パーティーで着るようなフォーマルドレスの知識なんてそれ以前の問題だ。

 途端におろおろと途方に暮れ出したセーシェルに、オーストリアは「今回のパーティーが貴女のデビュタントになるのでしたら、やはりドレスは白をお薦めしますが」と彼にしては珍しく具体的なアドバイスをくれた。

「カラードレスでいいなら私のを着てみる?お下がりで悪いけど」

 セーシェルちゃんだったらどんなのが似合うかしら、と、ハンガリーも思案顔で口元に手を当てる。セーシェルはいきなり二人から頭から足先までをまじまじと見つめられて妙にどぎまぎした。

「オーストリアさん、覚えていらっしゃいますか?前に私が着た若草色の……」

「ああ、貴女によくお似合いでしたね。あれを彼女に?」

「ええ、セーシェルちゃんだったら寒色系のほうが似合うと思って」

「ですがあれは丈が長かったでしょう。彼女はまだダンス初心者ですし、裾が捌きやすいデザインのもののほうが良いのでは?」

 ハンガリーの手持ちのドレスについて、ああでもないこうでもないと二人は論議を重ねているが、セーシェルはある重大な難点に気付いていた。自分にとっては不名誉なことであるが、ここは言わねばなるまい。意を決して「あ、あのー…、すみません」とそろそろ手を挙げる。

「ドレスを貸していただけるというお話は大変ありがたいんですが……ハンガリーさんのドレスだと、私多分サイズが合わないと思うんです。そ、その胸の辺りが特に……」

 スタイル抜群な彼女の水着姿見たさに、所属している水泳部への入部希望者が後を絶たないと噂のハンガリーである。もし彼女のドレスをセーシェルが借りるとなったら、胸の部分に相当詰め物をしなければならないだろう……残念ながら。
 セーシェルの進言にオーストリアもハンガリーも一瞬真顔で顔を見合わせると、「折角のデビュタントなのですから、自分のためのものを一枚新調したほうがいいかもしれませんね」「そうですね、とてもいいアイデアだと思います」とややオーバーリアクションでうんうんと頷き合った。

 二人に余計な気を遣わせてしまったことを心苦しく思いながら、セーシェルは「あれ?」と思う。オーストリアもハンガリーも既にダンスのポジションから離れている。そういえばいつの間に音楽は止んでいたのだろう?
 どうやら衣装のことでセーシェルが悶々としている間にワルツはとっくに終わっていたようだ。当初の目論みでは二人が踊っている隙に部屋から抜け出すつもりだったのに!しまったと思ったが、時既に遅し、後の祭りである。

 さて、とオーストリアが掛けていた眼鏡の縁を押し上げながら振り返る。

「セーシェルといいましたか。そこの貴女。では今度は貴女が踊ってごらんなさい。一通り見て差し上げましょう」

 部屋の真ん中では既にハンガリーが笑顔でスタンバイしている。二人の顔を順に見比べて…セーシェルは背中に冷たい汗がつっ…と伝うのを感じた。最早彼女に逃げ道はどこにも残されていなかった。

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