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「フランスさん、さっき飲料業者から連絡ありましたよ。搬入について直接話したいから折り返し電話欲しいって言ってました」

 ホールの側にあるリネン室で、数人の生徒と一緒にクロス類のチェックをしていたフランスは、扉からひょっこり顔を覗かせたセーシェルに「了解了解、あとで生徒会室に戻ってから電話するわ」とひらりと手を振った。
 パーティーまであと一週間を切った。来週の今頃はもう本番だということがセーシェルにはいまいち実感として湧いてこなかったが、現実には開催に向けての最終チェックが各部門で着々と進められている。今日はちょうど一週間前ということもあり、すべての部門で進捗状況の報告も含めた総チェックが一斉に行われることになっていた。ここでミスや発注漏れが見つかっても、すぐに対処すれば本番までにはギリギリで間に合う日数だ。こうした采配に置いてはイギリスは実に抜かりがない。伊達に生徒会長の椅子に就いているわけではないのだ。
 そうした理由から、いつもはダンスの練習で雑務からは遠ざかっていたセーシェルも、今日ばかりは朝練以外は生徒会事務に掛かりきりになっていた。ボードに挟んだタイムテーブル表を片手に、先程からホールと生徒会室を行ったり来たりしている。

「はあー…っ、しかしこんなクロスだけ置いてある部屋が学園の中にあるんですねぇ……」

 セーシェルが感嘆の声を漏らしたとおり、フランスが現在中心になってチェック作業を行っているリネン室には学園中のテーブルリネン類――テーブルクロスやナプキンが所狭しと保管されていた。国別のメーカーや折柄の種類等によって細かく分類されたその景観は、初めて見る者はちょっと圧倒されるだろう。国賓を持て成すことも可能な品揃えを誇るそのリネンルームは国が通うW学園ならではのものだ。

「ここまで大規模じゃなくてもイベント事はしょっちゅうだしねー。そうでなくても会長様が筋金入りのリネンコレクターだしなあ。ありゃ相当のマニアだよ。リネンプレイとか好きだね、絶対」

 どんな想像をしているのか、によ、とフランスは良からぬ笑みを浮かべた。リネンプレイとやらが一体何なのかセーシェルにはまったくわからなかったが、多分碌なものではなさそうだ。

 そうこうしながらもフランスは手際よくテーブルクロスの仕分けをしている。「あー…、こりゃ前の時の染みが完全に抜けてない。クリーニング業者にクレームだな」とか「当日と前日の二日間はランドリールームを押さえておくこと。何があるか分からないしな。使えるアイロンの数も確認しておけよ」とか「そのダマスク織のアイリッシュリネンは坊ちゃんのお気に入りだぜ。扱いには気をつけな」などと他の生徒達に指示や注意喚起を促す様はさすが堂に入っていた。
 普段はいかに仕事の手を抜いて効率よくサボタージュするかということに情熱を注いでいるフランスだが、彼はやる時はやる男だ。それも自分の専門と自負する分野に関しては決して妥協しない。フランスは今回こうしたリネンや料理だけでなく、パーティーで使用する食器やカトラリー類の選択までをすべて任されている。死んでも決して口には出さないだろうが、イギリスはフランスのテーブルセッティングに関する腕前を誰よりも信頼し評価していた。

「そういえばセーシェル、その坊ちゃんは今何してる?」

 手元の収納リストには殆ど目を落とさずに、フランスは次々と棚の中から該当のクロスを引っ張り出していく。目録などに頼らずとも、この部屋のものはすべて把握しているようだった。

「イギリスさんですか?少し前までは外でフラワーコーディネーターとか言う人と、会場に飾る花のサンプルの打ち合わせしてました」

「ははっ、セーシェル、お前ちゃんと見張ってなさいよ。放っておくと花だけで予算オーバーするぜ」

 他にやらなければいけない事ならいくらでも累積しているイギリスだが、会場の花に関しては自分が直接担当すると言って譲らなかった。これにはフランスも「予算だけは守れよ」と言ったきり反対しなかったので、イギリスの花への造詣はフランスも認めるところなのだろう。

「しっかし、このペースで本当に全部間に合うのかねえ?週末も出てこなくちゃならないなんてことになったら、お兄さん勘弁なんですけど」

「そ、それは私も困ります。この休みにハンガリーさんに買い物に付き合って貰う予定なんですから」

 つい先日発覚したセーシェルの衣装の問題であるが、右も左もわからないセーシェルのために週末ハンガリーが一緒にドレスショップに付き合ってくれることになったのだ。とにかく何でもいいから一着探さないことには当日着ていく物がない。休日がパーティーの準備で潰れるようなことになっては一大事だ。
 フランスはそう言って慌てたセーシェルを見て、おや、と片方の眉を器用に上げると、「ハンガリーちゃんと一緒かあ。お兄さんも付いて行っちゃおうかなー」と暢気に軟派なことを言い出した。それを黙殺して無視したセーシェルは「とにかく電話忘れないでくださいよ!」と念を押して扉に手を掛けた。そろそろイギリスも生徒会室に戻っているかもしれない。彼に報告することが山積みになっているのだ。

「はいはい、あと少しでここが終わるから、そうしたらお兄さんもすぐに戻るよ。俺がいなくてセーシェルも寂しいと思うけど待っててね」

 気障ったらしいウィンクとともに投げられたキスを持っていたボードで防ぐと、ひどいっ、と非難の声が上がったが、セーシェルは気にせずリネン室を後にした。まったく、真面目な顔をしていればフランスさんも結構格好良く見えるのに、と恐らく全世界が残念に思っている感想を呟きながらセーシェルは階段を上った。そこで思わずうぅ、と呻いてしまう。まだ少しだけ一昨日の筋肉痛が残っている。
 二日前、巻き込まれるようにしてオーストリアの特訓を受けることになったセーシェルは、あまりの凄まじい疲労にその晩は寮に帰りつくと制服のまま朝まで沈没してしまった。当然翌日の朝練習は寝坊でサボってしまったわけだが、どこからかセーシェルの特訓の惨劇を耳にしたらしい生徒会長からはその日特にお咎めはなかった。彼も一応人の心は持ち合わせていたようだ。
 しかし、島で暮らしていた当時は海で泳がぬ日は一日も無かったくらい活発で、運動不足などという言葉とは凡そ無縁な少女だったセーシェルだが、彼女は国として生まれてこの方初めて筋肉痛というやつを体験した。相手をしてくれたハンガリーの足を踏まないようにいつもの十倍は必死にやったからだろう。フランスが知ったら差別だと泣くかもしれないが、フランスの頑丈な脚とハンガリーの折れそうに華奢な脚を比べる方が失礼だとセーシェルは思っている。
 その涙ぐましい特訓のお陰でセーシェルのダンスは少しはマシになってきた。だが、よく考えると当日はあのオーストリアやハンガリー達と一緒に踊るのだ。あの二人のレベルが高い事はわかっているが、他の国だって勿論セーシェルよりもずっと上手に違いない。セーシェルはここにきて初めてパートナーであるフランスに申し訳ないと思うようになった。
 しかし今日は準備の為にいつもの放課後練習は中止にせざるを得ないのだ。ダンスのことはまた明日以降頑張るしかない。もし当日を上手く乗り切ることができたら、イギリスさんとフランスさんに何かご褒美を強請ろうと心に決めて、セーシェルは生徒会室へ向かった。

 セーシェルが生徒会室の前に立つと、扉の向こうに人が居る気配がした。恐らく生花業者との打ち合わせを終えたイギリスが戻ってきているのだろう。セーシェルは入室の為のノックをしようとして(これはさんざん言い続けたイギリスの教育の賜物だ)、重厚な樫の扉がほんの少しだけ開いていることに気がついた。扉の開け閉めに煩いイギリスにしては珍しい。

 それでもとりあえずノックをする為に右手を上げたところ、部屋の中から『セーシェルが可哀想じゃないか!』と言う声が聞こえてきた。思わぬところで自分の名前が出されてセーシェルはぎょっとする。何事かと隙間から中を伺うと、そこにはセーシェルもよく知っている長身の人物が立っていた。アメリカだ。

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