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ひとつは空に1

 手にしたホースの先のノズルからは、炭酸水が零れるようにしゅわしゅわと水が溢れる。
 アメリカは日本の庭で、一鉢の花と向かい合っていた。

 恋をしているのだと聞かされた。その白朝顔は決して手に入らないあの人に、はかない恋を。


「……君に、一つあげようか?」


 声を掛けたのはほんの気紛れだった。





『一つは空に 一つは花に』





 キングス・クロス・セント・パンクラス駅から地下鉄に乗り、もう何度も通い慣れた駅で降りる。アメリカの財布の中にはいくらかのポンド紙幣とともに常にブルーのオイスターカードがひっそりと忍ばせてある。N.Y.のメトロカードを持っていないイギリスには悔しいので絶対に言いたくはない。
 七月初旬のロンドンの街並は細い霧雨に濡れていた。対岸の国は快晴とまではいかずともそれなりに晴れていたのに、この国はいつだってじめじめと泣き虫だ。
 だが、空を覆う雲はそれほど重苦しくは無く、ところどころ幽かに薄日が透けて見える。昼過ぎにはこの雨もあがるかもしれないと、アメリカは希望的観測をもって、一つ大きく伸びをした。

 いつも以上に長い空路の強行軍ではあったが、そのくらいでは若いアメリカの身体はびくともしない。むしろロンドン入りするのにあたって使用した不本意な陸路(正しくは海底トンネルだが)の存在の方が余程気に障った。極東の島国ではヒースローへの直行便は午前中のみに限定されているため、一晩待つくらいなら夜の便でパリを経由し、ユーロスターを使った方が早くロンドンに到着できる。仕方の無いこととはいえ、ドーヴァー間の地理的な距離の近さを見せつけられるのはいつだって面白くない。苛立ちが表情にも出ていたのか、パソコンでルート検索とチケット手配を協力してくれた日本も些か遠い目をしていた。

 まだ少しだけ朝の気配が残っている半端な時間帯の所為だろうか、通勤のピークを過ぎた駅周辺の混雑は然程ではない。雨の日特有の静かなざわめきの中を、早足のロンドナー達が通り過ぎて行く。
 他人の家を訪問するには少しばかり早い時刻だ、というくらいの認識はアメリカにもある。まがりなりにも訪問先の家主は自分の恋人なのだから、間違っても他人にカテゴライズするようなことはこの超大国が認めないのだが、そのアメリカをして彼に特別な配慮を見せるという奇特な期間が一年に一度だけある。それはまさに今、イギリスが身心ともに最も疲弊しているだろう独立記念日の前後だ。
 最近ではイギリスも当日ふらりと顔を出してくれるまでになったが、それだけのことにも彼は未だ多大なる努力を要するらしい。体調不良は相変わらずで、先週のパーティーにはとうとう最後まで姿を現さなかった。欠席の連絡は事前に貰っていたが、「もし来られるようになったら、少しでいいから顔を出して」と往生際悪く言ってしまったがために、アメリカはパーティーの間中、会場の入り口から空しくもずっと目が離せなかった。それから数日、イギリスとは電話でさえまだ一度も話していない。

 今君の家の近くにいるんだけど、なんて言葉は紳士の国では正式なアポイントとしては認められない。だが、殆ど何の連絡もなしに突撃するいつものアメリカからすれば、例え直前であれ電話を一本入れるということは大変珍しい部類に入る。掛けるべきかどうしようか、らしくなく迷いながらポケット中の携帯を探っていると、ふいにかつり、と爪先が何かに触れた。
 何か入れてたっけ、と指先で摘み上げたそれを見て、アメリカは「あぁ、そういえば」と青い目を細めて苦笑する。柔らかな霧雨を受ける小さな緑のガラス玉は、昨日日本の家で貰ったものだ。


 ビー玉で栓をする炭酸飲料はもともとイギリスの家で生まれたものだった。そしてそれを日本に紹介したのはアメリカだ。あの独特の意匠の瓶はもうイギリス国内では生産されていないのだが、代りに日本では今でも夏の風物詩として愛されているのだという。日本の家で見かけるたびについついイギリスの顔を思い出してしまうのは、もうアメリカの癖のようなものだ。

 昔はすべてガラスで出来ていたのですがね、と飲み終えたラムネ瓶の、そこだけプラスチックになっている蓋をくるくると取り外しながら日本は笑った。ころり、と転がり出た緑色のビー玉をテーブルの上にあった布巾で拭うと、「よろしければ私のもどうぞ」と彼はアメリカの大きな掌にそっと載せてくれた。

 フライトには充分間に合いますから御夕飯召し上がって行かれますよね、と言った日本に、アメリカはいつの間にか庭の植木鉢の水遣りを申し渡されていた。中国もそうだが、アジアの年嵩の連中はこうした駆け引きをのらりくらりとこなすので侮れない。そして若輩者を扱き使う振りをしながらこっそりと甘やかしてみせたりするのだから本当に侮れないのである。

 園芸用ホースの先のシャワーノズルを握りながら、日本に言われた通りアメリカは庭の植木や鉢植えに景気良くたっぷり水を撒いてやった。勿論、件の白朝顔の上にも。人工の雨はさぁぁっっと音をたてながら夕方の庭に霧状に広がった。



(君は、今でも雨の匂いのする俺は嫌いだろうか)

 霧雨は気付かない間にうっすらと身体を濡らしていく。
 少しくらいの雨では傘は差さない。それはニューヨーカーもロンドナーも同じだ。

 アメリカの視界は少し離れた停留所へと走って来る一台のダブルデッカーを捉えた。霧雨に煙る景色の中、濡れた真っ赤な車体が近付いて来る様はあまりにもイギリスらしい風景でついつい目を惹かれてしまう。遠目に確認できたルートナンバーが目的地行きのものだと気付くと、緑のガラス玉を再びポケットに突っ込んで走り出す。結局いつも通りアポイントを放棄したアメリカは、ロンドナーの流儀に倣って大きく手を振り、止まってくれと乗車意思をアピールした。

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