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20

 とにかく今はイギリスとフランスである。セーシェルは日本に教えてもらった方向に向かって探してみることにした。
 それにしても男性は殆どがタキシードかテイルコート、もしくはちょっと気取ったディレクターズスーツなどを着ているので、遠目ではなかなか判別がつきにくい。きょろきょろと辺りを見回しながら歩いていると、余所見をしてた為だろう、セーシェルは誰かの背中にドン、とぶつかってしまった。「す、すみません!」とぶつけた鼻を押さえながら、セーシェルは背の高い、黒いジャケットの背中を見上げた。いつの間に目の前に人が居たのだろう。気配に全然気がつかなかった。

「いいえこちらこそ……あ、セーシェルさんじゃないですか。大丈夫ですか?」

「は、はい。私は平気です。それよりこっちこそ余所見しちゃってすみませ……」

 のんびりとした動作で振り返り、そしてさらにのんびりとした口調で穏やかに話しかけてきた眼鏡の青年の顔を見て、思わずセーシェルは固まった。いや、正確には彼と、そしてその隣に居た人物をみて吃驚したのだ。

「い…イギリスさん!」

「ん?あぁ、セーシェル、お前か」

「え…?えぇ!?お、お二人ともいつの間に……!?」

 人を指差すな、とイギリスは顔を顰めたが、セーシェルはそれどころではなかった。
 この一週間あまりの間、ダンスとともにセーシェルを悩ませ続けていた喧嘩中の二人―――イギリスとアメリカが、まさに今セーシェルの目の前で穏やかに談笑などしているではないか。アメリカはいつもよりも大人し過ぎて何か悪い物でも食べたのかと心配になるほどだが、一体いつの間に二人は仲直りをしたのだろう。

 だがしかし、疑問はすぐに解けた。溜め息を吐いたイギリスが「いいから口を閉じてしゃんとしろ。それから大股でのけ反るな。仮にもお前女だろう」とセーシェルを窘めた後、隣の人物に視線を転じた。

「せっかく珍しくめかし込んでんだから所作だってそれなりにすべきだろうが。なあ、カナダだってそう思うだろ」

「あはは、そうですねえ。でも今夜のセーシェルさんは本当に綺麗ですよー」

「あ?え?……カナダ……さん?」

 よく見てみると(本当に目を凝らしてじっくり見ないと何故か見失いそうになってしまうので)、セーシェルが一瞬アメリカかと思った青年は同じ英連邦に属するカナダであった。そういえば同じ北米大陸の国である彼等は、正確は真逆だが顔の造りはよく似ているのだ。

 考えてみれば意地の張り合いをしたら学園一位と二位を争う二人が大喧嘩をしたのだ。そう簡単に元に戻るはずもない。へなへなと力が抜けたセーシェルは、せっかくのカナダの褒め言葉を彼の存在ごとスルーしてしまった。

「まあ、確かにそういう格好してればお前もなかなか見栄えがするじゃねえか。お前もこれを機会に、少しはレディらしく、大英帝国の植民地としての自覚をだな」

「あー…、はい。そうっスね……」

「てめえ……。人が褒めてやってるんだからちゃんと聞けよ……」

 青筋を立ててイギリスはこめかみをひくつかせたが、先刻の勘違いで放心状態にあるセーシェルの心にはまったく響かない。だからだろう、背後から忍び寄る影に、セーシェルご自慢の野生の勘はこの時ばかりはちっとも働いてくれなかった。

「セーェシェルゥー!」

「うわっっ!!」

 がばっと背中から抱きつかれて、セーシェルは悲鳴を上げた。ぞわっと鳥肌が立ったが、それと同時に鼻腔が嗅ぎ慣れたアイリスの香水を拾う。こんなことをするセクハラの犯人は―――

「フランスさん!」

「いやぁ〜、さすがお兄さんのセーシェル!いつも可愛いけど、今夜はまた一段と魅力的だねえ」

 お兄さん嬉しいっ、とフランスはそのままセーシェルの腰のあたりを撫で回す。ひいっと飛び上がったセーシェルがフランスに鉄拳制裁をかます前に、一部始終を見ていたイギリスが「お前らいい加減にしろ!」と二人をべりっと引き剥がした。いい加減にするべきはフランスなのであって、一括りにされたセーシェルにしてみれば文句を言いたいところである。

 そのフランスは残念そうに「まったく坊ちゃんは無粋だねえ。愛を語らう二人の男女の仲を引き裂くなんて……」と勝手なことをほざいていた。

 いつものパターンではあるがこうもお約束だと毎度付き合わされるこちらの身にもなってほしい。やれやれと首を振ったセーシェルは、ドレスの裾の形を整え直すと、あらためてイギリス達の方に向き合い―――そして声を失った。

 今夜のパーティーの主催であるイギリスとフランスは、当然ながら二人とも漆黒のテイルコートに身を包んでいた。イギリスは髪を軽く後ろに流し、フランスはご自慢のウェーブをブルーのリボンで一つに纏めている。首元のホワイトタイは完全なシンメトリーを成して一分の歪みも無い。足元のエナメルの靴は鏡のように磨き抜かれていて、指紋どころか僅かな曇りさえも見つけることはできなかった。
 単純に装いの種類だけで見たら、二人の姿は今日会場に溢れている他の男性と然程変わり無いはずなのだが、迫力が段違いである。それも二人揃うとより一層凄まじい。

 言葉こそいつもの元ヤンで粗暴なイギリスだが、彼の所作にはまったくの隙がなく、流れるようですらあった。先程はよもやの大喧嘩終息かと勘違いしてしまった衝撃で碌に見もしなかったが、こうしてみると確かに目の前の己の宗主の出立ちは大英帝国の名に相応しい。傍らのフランスの狂言に眉間を寄せつつも微かに首を傾げて肩を竦める様は、悔しいが絵になるとしか言い様がない。尊大な仕種にはいっそ美しささえ感じられるのが恐ろしかった。
 対してフランスは、自分の首筋にかかった絹糸のような髪を、白い手袋に包まれた長い指で少し気怠げに弄んでいる。もともと容姿だけなら欧州随一と名高いこのドン・ジュアンは、己が一番魅力的に映る姿というものを熟知していて、本人も無意識のうちに周囲を誘惑するのだから性質が悪い。完璧な美貌を持つ男が軽薄な笑みを浮かべると、そこには大人にしか持ち得ない色香が漂う。まるで行儀のよい肉食の、猫科の獣だ。隣のイギリスが禁欲的に見えるだけに、艶を含んだフランスの存在は甘い毒のようだった。

 今も、フランスはするりとイギリスの肩に手を添えて耳元で何事かを囁いている。室内には楽団の生演奏が流れているので至近距離での会話は然程不自然ではないが、それでも男同士ではやや近いと言わざるを得ない距離感だ。事実、イギリスは不快そうに緑の瞳をすっと細めると、フランスの方へは一瞥もくれずに、肩に置かれた不埒な手をつれなく叩いた。掌がひらりと閃くと同時に、折り目正しい手袋とカフスの間から真っ白な手首が覗く。少し大袈裟に手を引いたフランスは、行き掛けの駄賃とばかりにイギリスの首筋とカラーの境界をすっと撫でていった。

 そのけしからん指先を緑の目がじろりと睨むまでの一連のやり取りが、既に映画のワンシーンのようである。周囲の視線が二人を取り巻くように熱気を帯びているのは気のせいではないだろう。日本が写真がどうのと興奮していたのにも頷ける。

「……さん、セーシェルさん」

「はー……。あ、え?」

「セーシェルさん大丈夫ですか?さっきからまた口開いてますけど……?」

 やっぱりさっきぶつかった時にどこか打ちました?と心配そうに尋ねてきたのは、すっかり空気に同化していたカナダだった。

「あ……いいえ大丈夫です!全然!」

 まさかよりにもよってあの二人に目を奪われていたなど、口にも出したくないし認めたくもない。だが、普段のどうしようもない底辺の有り様を知っていて尚、イギリスとフランスが二人並んだ姿というのには有無を言わさない迫力があった。カナダだってアメリカと見間違うくらいに良い体格をしているのだが、この二人とは存在感と言うものが違う。対照的とも言えるイギリスとフランスだが、二人に共通するのは、甘い腐敗臭漂う欧州宮廷を庭としてきた、紛れも無い覇者の風格だ。

 なんだか見慣れた人物の、見慣れない顔を見てしまった居心地の悪さでもじもじしていると、イギリスに素気無く振られたフランスが「何?ひょっとしてダンスの前でセーシェル緊張してる?大丈夫だって!お兄さんに身も心もすべて預けて!」と両手を広げてきた。
 それを「余計なお世話です!」とそっぽを向いて返すと、「まったく眉毛の関係はどの子もつれない……」とフランスは肩を落とした。

「まあまあ、フランスさん」

「カナダ!そうだよな!お前は違うよな!うんうん、わかってるよ、お兄さん知ってた!」

 ここでセーシェルもイギリスもカナダさえも「黙ってれば外見は良いのに……むしろ黙れ」と内心同じことを考えていたが、主催者としての自分の責務を思い出したイギリスは懐から取り出した懐中時計で時間を確認すると、「お前ら、ダンスまであと少しだから準備しとけよ」と言い残して事前の確認作業の為にその場を離れていった。

 今度は馴れ馴れしくカナダの肩に腕を回しながら、ひらひらとイギリスに手を振ったフランスだったが、彼の後姿が雑踏に紛れて見えなくなると、ふいにこれまでとは打って変わった様子でカナダに「それでアメリカは?」とやや小声で訊ねる。

「俺、今日まだあいつ見てないんだけど。まさか欠席ってことはないよな?」

 するとカナダは少し困ったように笑って「ダンスには間に合うように来るって言ってましたけど」とおっとりと言う。

「あいつらの痴話喧嘩はいい加減迷惑なんだよなぁ。せっかくこれからバカンスなのに、海の向こうでじめじめ低気圧張られてたんじゃこっちだって気が滅入るっての」

 休暇中はいっそのことセーシェルんとこに行っちゃおうかなー、とフランスは片目を瞑ってそんなことを言う。

「いいですよ。ちょうどシーズンなんで割増料金ですけど、ガッポリ落としてって下さい」

「……逞しく育ってくれてお兄さん嬉しいよ……」

 よよよとフランスはカナダの肩に縋ったが、ふと顔を上げると「ところで、それどうしたんだ?カナダ?」とフランスは代りに自分の額を指差してみせた。
「あぁ、これですか?」と指摘されたカナダは恥ずかしそうに頭を掻く。実はセーシェルも先程から気になっていたのだが、カナダの額の真ん中には大きな絆創膏が貼り付けられていた。

「実は、今日の為にかっこつけた顔の練習しすぎて、鏡に頭ぶつけたんです……」

「なんという……」

 慣れないことってするものじゃないですね、とカナダは控え目に恐縮してみせた。彼は普段は大らかでのんびりとした国だが、突然予想外にハイテンションになることがあって、その後は大抵こうして賢者モードになったりする。思えば前回の冬の体育祭の時もそうだった。

「まあ、怪我はほどほどにな」

「は、はい。気をつけま…す!?」

 フランスの忠告に照れくさそうに返事をしたカナダだったが、突然素っ頓狂な声を上げてがくん、と膝を崩した。何事か!?と思う間もなく、彼の背後から「やったぁ!一矢報いたで!」という快哉が聞こえた。

「ざまーみろやアメリカ!パーティーだからいうて油断したお前の負けやんなぁ!」

「ス…スペインさん」

 どうやらカナダは背後から現れたスペインに膝カックンされてしまったようだった。それもアメリカと間違えられて、である。

「いやー、めっちゃすっとしたわー。今の瞬間写真に残したらおもろかったのに……」

 流石はかつての太陽の沈まぬ国。スペインは陽気に笑いながら結構えげつない事を平然と言ってのける。
 髪はいつも通りに無造作なままであったが、ラテン男性特有の厚みのある体躯の彼がタキシードを着ると妙にセクシーな感じがした。数百年単位で芳しくない財政難に喘いでいる自他ともに認める貧乏大国ではあるが、長い歴史を持つだけに彼の礼装の着こなしは実に様になっている。モードの王様ディオールが巨匠と敬愛したデザイナーを輩出したのは、何を隠そう彼の国だ。

 スペインは尚も上機嫌で、今にも祝杯を上げそうな雰囲気だ。あまりの喜びように今更人違いですよと訂正するのも気の毒で、どうしたものかと逡巡していたセーシェルだったが、漸くよろよろと立ち上ったカナダがスペインに向かって猛然と抗議を開始した。

「スペインさん、僕カナダアアアアア!!」

「え……へ?」

 アメリカに報復できたものと悦に入っていたスペインだったが、カナダの涙交じりの必死の訴えに漸く彼がアメリカでないと気が付いたようだ。「何?アメリカとちゃうかったんか?」と勘違いに気付いた彼は、あたふたとカナダに頭を下げる。

「カナダやったんかぁ。間違えてホンマにごめんなぁ」

「いえ……でも今度から気を付けてくださいね……」

 アメリカと間違えられることを何よりも嫌がるカナダはまだ涙目だ。「ホンマにすまんなぁ、いつかアメリカとイギリス殴るのが俺の生き甲斐やってん」と天然のスペインはその二人の身内も同然のカナダにあっけらかんと物騒なことを言う。しかしカナダも、そしてセーシェルも心の中で「殴れ、殴ってよし!」とエールを送ったのは勿論秘密だ。

「そういえばスペイン、お前一人か?」

 他に連れ合いのいなさそうなスペインの周囲を、フランスは物珍しげに見回した。今でこそアングロサクソン兄弟にかつての栄華を奪われたスペインだが、彼はフランスと並ぶれっきとした欧州の古豪の一人である。ヨーロッパ大陸をはじめ、南米など数多くの国を支配下に置いたこともある彼は、その当時の縁故もあって、あちらこちらの国と付き合いが多い。特にイタリアの兄である南イタリアとは特別仲が良いことで知られている。フランスが不思議に思ったように、彼がこうした場で一人で居る事は非常に珍しいと言えた。

 するとスペインは「ロマーノとイタちゃんと一緒に来たで」と後方を指差し、「今お取り込み中みたいやから、邪魔したらあかん思うて」と言ってによっと笑った。

 スペインの後ろを覗き込むようにして首を伸ばすと、少し離れた場所には彼が言った通りイタリア兄弟が居た。彼等は二人とも所謂正統派なテイルコートではなく、かなりファッショナブルにアレンジされたものを身に着けていた。タイも蝶タイではなく、アスコットスカーフを綺麗なピンで留めている。いくら世界中からヘタレと言われていても、装うことに掛けては他の追随を許さないマカロニ男。流石の洒落者のイタリア兄弟である。
 シルエットは良く似ている二人だが、単独で居ても二人で居ても、アメリカとカナダのように彼等が間違えられることはまずない。今もニコニコ笑っている方がセーシェルも仲の良い弟のヴェネチアーノ、そして何故か真っ赤になっているのが兄のロマーノだと遠目からでもよく分かる。

 すると、セーシェルの視線に気付いたヴェネチアーノが「あ!セーちゃん!」と小走りでこちらにやって来た。

「イタリアさん」

「セーちゃんCiao!うわぁ、すっごく綺麗だねぇ!!」

 イタリア男性の話すイタリア語の半分は女性への褒め言葉だと言われるが、手離しに褒められればセーシェルだって嬉しい。相手は友達のイタリアということもあり、先程よりは動揺せずに「あ、ありがとうございます」と照れながらも何とか礼を言えた。今夜は一生分は褒められた気がする。
 セーシェルが照れている間にも可愛いねーよく似合うねーとセーシェルの周りをぐるぐる回っていたイタリアだったが、そんな彼にスペインが「おうイタちゃん!首尾はどうやった?」と声を掛けた。

「へへ、ちゃんとオッケー貰ったよ、スペイン兄ちゃん!」

 ヴェーとイタリアは少し得意げに例の特徴のある声で鳴いた。

「そうか流石はイタちゃんや!ほんで、ロマーノはどないした?」

「兄ちゃんはほら、今頑張ってるよー」

 イタリアの指差す方―――彼の兄のロマーノの居る方に視線を向けると、先程と同じく赤面したままの彼が居た。見ると彼の前には一人の女生徒が立っている。セーシェルの上からひょいと顔を出したフランスは「おや、ベルギーちゃんじゃないの」と口笛を吹いた。

「うん、ベルギーさんにね、一緒に踊ってくれませんか、って申し込んできたんだー」

 もともと可愛い女の子と踊れることを何よりも楽しみにしていたイタリアは、また幸せそうにヴェーと鳴く。どうやらイタリアは彼女と踊る約束を見事に取り付けてきたようだった。

 ベルギーは私服が地味目なためにあまり目立たないが、よく見ると猫系のかなりはっきりとした、可愛い顔立ちをしている。女子寮で定期的に開催されるパジャマパーティーには美味しいお菓子を沢山持って来てくれる、セーシェルにとっては女神のような存在だ。
 マリリースのドレスを着た今夜の彼女は、持ち前の華やかな容姿が一層引き立って見えた。歴史上は親仏派だが、彼女が世界に誇るデザイナー「アントワープの六人」のデビューの地がロンドンだったということもあり、服飾方面ではベルギーは意外とイギリスとも親交が深い。英仏両人に関わりがあるという点ではセーシェルと共通点があった。

 そんな彼女を目の前にしている所為か、ロマーノはかなり上がっているように見えた。隣ではスペインが「あいつ、変なとこで緊張しいやからなぁ……」と呟く。弟のヴェネチアーノがダンスの約束をアッサリと取り付けたのに対し、ロマーノの方はなかなか上手く言い出せないようだ。セーシェルも含め、その場にいた全員が、まるで子を持つ親の心境でロマーノを見守る。一同固唾を飲んで注視していると、言葉を詰まらせながらもどうにかやっとパートナーの申し出を切り出せたロマーノに、ベルギーはにこやかに笑いかけた。

「おにいちゃんとも踊るさかい、その次になってまうけど、そんでええなら一緒に踊ろか?」

 寮内でも明るく親切と評判のベルギーは、ロマーノの必死の申し出を快く受けてくれた。が、とうとう緊張の限界に達したのか、当の本人はぱん!と音を立てて頭から湯気を出し始めると、「や…やっぱり結構です…はい、このやろー……」とせっかく苦労して取り付けた約束を、なんと自ら翻してしまった。一部始終を見守っていた一同は思わず呆気に取られて呆然とする。

「お前なんやねん!なにしとんねん!!」

「う…うるせぇこのやろー!こ、心の準備が……」

 ベルギーの前から一目散に逃げ帰って来たロマーノに、呆れたスペインが盛大にツッコむ。そのスペインの背中に半ば隠れながら、ロマーノは毛を逆立てた子猫のようにフーッと唸った。ぎゃんぎゃんやり合う二人にセーシェルは唖然として目を白黒させたが、イタリアやフランスはまあいつものパターンだとばかりに顔を見合わせて眉尻を下げる。いきなり目の前から逃げられたベルギーでさえ、慣れた様子で「相変わらずロマーノ君は純情さんや」と笑っていた。

 旧知の仲の欧州勢が顔を揃えたところで、セーシェルは見慣れた国の顔がないことに気が付いた。隣のイタリアの袖を引っ張って「今日はドイツさんと一緒じゃないんですか?」と訊ねる。いつもセットで居る彼等が別々なのはなんだか不思議な感じがした。

「ドイツだったらオーストリアさんと一緒に来るって言ってたよー」

「オーストリアさんと?」

 すると、それまでロマーノの頬っぺたをぷにぷに突いていたスペインが、何事か思い出したように「あぁ」と顔を上げた。

「ゲルマンの連中やったら、さっきあっちの待合で見たでー」

「何?あいつら随分のんびりだな。時間に煩いドイツが居るのにか?」

 フランスが優雅に首を傾げると、スペインはひらひらと手を振って「大方、あのオーストリアが支度に時間かかったんとちゃう?」と肩を竦めた。身嗜みには人一倍気を使うオーストリアはただでさえ身支度に時間が掛かる。おまけに至近距離でも道に迷うという貴族的特殊スキルを有しているため、遅刻を懸念したドイツがわざわざ彼を迎えに行ったのだ。

「それと、ドイツがなんかプーちゃん担いでたんやけど、あれ何だったんやろなぁ?」

 プロイセンの奴、頭になんやけったいな金属の被りもんしとったし、兄弟で隠し芸でもするんやろか、とスペインは少しわくわくした様子で、微塵の悪気も無くそう言った。
 さあ、こっちではそんな予定聞いてないけどね、とますます首を捻ったフランスの隣で、セーシェルは乾いた笑みを浮かべる。先程ハンガリーの鉄槌に沈んだ銀髪の青年は、どうやらドイツの兄だったようだ。未だウェイティングルームで伸びていたのを、後からやって来たドイツに回収されたのだろう。スペインが見たという「けったいな金属の云々」というのは、間違いなくハンガリーが彼の脳天に振り下ろした銀盆だ。余程綺麗にめり込んだらしい。

 しかし、オーストリアがあのドイツと一緒だというなら、ハンガリーも彼を見つけやすいだろうとセーシェルは思った。言わずもがなムキムキで筋肉質のドイツは、そこに居るだけでかなり目立つ。ましてや今は特別なオプションつきらしいし、広い会場内でもすぐに目に入るはずだ。

 それにしても、とセーシェルは周囲を見廻す。先程からフランスも懸念しているように、未だアメリカの姿が会場内に見当たらない。彼は賑やかな上に超大国故の圧倒的な存在感があるので、既に会場入りしているとしたらやはり人目を引くだろう。食べる事が大好きな彼のことなのでもしや、と先刻日本達と会ったビュッフェの辺りにも視線を凝らしたが、そこにも彼らしき姿はなかった。
 アメリカはセーシェルにも、そしてカナダにも「ダンスには出る」と言っていたが、まさかイギリスさんと顔を合わせるのが嫌で本当に欠席しちゃうんじゃ、とセーシェルは今更のように心配になってきた。

「お、そろそろ時間だ。俺たちも行こうか、セーシェル」

「は、はい!」

 会場の奥半分―――ダンス用のボールルームとして区切られたスペースでは、裏方のスタッフがダンスに向けての用意を始めていた。実際に参加する国、参加はしないが見物をしようという国たちも少しずつ奥の方へと移動している。事前に挨拶をする予定になっている会長のイギリスは最奥のメインブースの辺りにいるはずなので、二人もまずはそこへ向かうことにした。

「わー、セーちゃん頑張ってねー」

「あ、セーシェルさん、後で良かったら僕とも踊ってくださいね」

 ぽわわん、としたイタリアとカナダの見送りにセーシェルはぎこちなく手を振った。片頬が引き攣っているのが自分でも分かる。右足と右腕が一緒に出そうになってあたふたしていると、目の前にフランスの大きな手がすっと差し出された。

「ふ、フランスさん」

「大丈夫だよセーシェル」

「で、でも……」

 既に極度のプレッシャーで体がカチコチに強張っているセーシェルは不安そうにフランスを見上げた。フランスはそんなセーシェルを安心させるように目線を下げると「練習ではちゃんと出来てたんだから心配ないよ」と、彼が年下の国々に時折見せる、優しげな笑みを浮かべた。

「それになんてたってリード役はお兄さんだよ?セーシェルは何も考えないで安心してお兄さんに任せてればいいの」

「だ、だけど……多分、足踏んじゃうと思いますよ……?」

「可愛いセーシェルにだったらそのくらい何でも無いよ。踏まれても蹴られても平気。お兄さん、顔色一つ変えずに踊り切るから」

 それに会議中は机の下で、あの横暴眉毛とガンガン蹴り合ってるからね、と言ったフランスに、漸くセーシェルは「何ですかそれ」と笑う事が出来た。

「あぁ、セーシェルこそ忘れてないよね?これが終わったらお兄さんとグラスリィでデートしてくれるんでしょ?」

 いつか強請ったご褒美の約束を持ち出して、フランスは完璧なウィンクを決める。セーシェルは今度こそ心から笑って「勿論ですよ!全種類制覇です!!」と差し出されたままになっていたフランスの手をぎゅっと握った。

「では参りましょうか?Mademoiselle?」

「Oui, monsieur」

そのままするりと腕を組むと、二人はもう一度顔を見合わせて笑った。

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