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「もう!なんで私がこんなことしなくちゃならないんですか!?」

「うるせぇ!時間がないんだ!公衆の面前で恥かきたくなけりゃつべこべ言わず練習しろ!」

「ってゆーかダメ。お兄さんの足がもうダメ。靴脱いだらゼッタイ痣になってる…」

「そりゃ良かったなワイン野郎。この秋はブドウの色付きもさぞいいだろうよ」

「イギリス!お前こうなることが分かってて俺にセーシェル見てやれって言ったんだな!?そうなんだな!?」

「哀れなスケベ中年に温情掛けてやっただけだ。お前だって最初は喜んでたじゃねぇか」

「セーシェルがこんなに物覚えが悪…いや、足踏みまくるなんて知ってたら、お兄さんヴェルサイユのマドモアゼル達に誓って引き受けなかったよ…」

 いやいや、やっぱり愛の国の名に掛けて眉毛なんかにセーシェルのデビュタントは譲れない。可愛いよセーシェルはあはあと鼻息を荒くしたフランスは、セーシェルの腰をホールドしたまま右手を怪しく動かした。結果、鳥肌を立てたセーシェルに踵を思いっきり捻じ込まれることになったが、セクハラ副会長に同情してくれる者は勿論ここにはいない。
 哀れっぽい悲鳴が響く生徒会室で、イギリスは自分のいつもの定位置である革張りの椅子に乱暴に腰を下ろすと尊大に鼻を鳴らした。まったくどいつこいつも役に立たないこと甚だしい。

 しかし、目の前で繰り広げられている喜劇(本人達からすれば悲劇)にウンザリしている余裕は正直無い。生徒会が学年末最後の行事として取り仕切ることになったダンスパーティーまであと僅かに二週間。どんなにお粗末だろうが日にちは確実に迫っているのだ。

「おいセーシェル」

 セクハラとその報復に夢中な踊り手たちにほったらかしにされたプレーヤーの音楽を一旦停止させると、生徒会長は愛用の椅子の肘かけをギシっと軋ませた。これは嵐の前の兆候だと身を持って思い知っているセーシェルとフランスは不毛な争いをぴたり、と止めると、ギギギと音がしそうなぎこちなさでイギリスの方を振り返った。

「な…なんですか?」

「最初から分かってはいたが、例えどんなにお前が物覚えが悪くてダンスの才能が壊滅的になかったとしても」

「な…!?」

 あまりの言われように言い返そうとしたセーシェルの口を、咄嗟に両手でフランスが押さえた。今はアイツに逆らっちゃいけない、我慢我慢と必死に目配せをしてくる。

「とにかく生徒会主催のダンスパーティーである以上、メンバーのお前は強制参加だ。そして仮にも英国の植民地が無様な姿を晒すことは許さねぇ」

 言っている内容はあまりにも理不尽で傍若無人だが、窓からの逆光の中でも底光りする緑の目が恐ろしくて、当のセーシェルだけでなく指導役であるフランスの背にも冷たい汗が流れた。

「来週までには少なくともワルツだけはものにしろ。もしできなかったら…」

「で…できなかったら?」

「最後の手段としてオーストリアに特別指導をやってもらうことになっている」

「えぇぇぇぇ!?」

 個人的にはオーストリアとの付き合いなど皆無に等しいセーシェルだが、彼が殊、音楽を始めとした芸術方面に関しては決して妥協を許さない人物だという噂はこの学園に通うものならば誰もが知っている。そして、おっとりとした外見に似合わず、女子供でも容赦しないスパルタ主義だということも慢研仲間のイタリアを通して聞いていた。その時は他人事だと聞き流していたが、まさか自分の身に降りかかってくるとは想像すらしていなかった。

「ちょっと待ってください!そんなことになったらストレスで海水温が上昇してアルダブラの環礁に異変が起きますよ!?それでゾウガメが絶滅したらどうしてくれるんですか!」

「大丈夫だ。お前はそんな繊細なタマじゃない。俺が保証する」

「言わせておけばこの眉毛ぇぇぇ!!」

 特訓以前に既に海水が沸騰する勢いで喚きだした暴風雨のごときセーシェルの暴言も、かつての七海の覇者は通り雨として無視することにしたらしい。こいつ本気だ、とフランスは内心慄いた。
 いつものイギリスだったら、眉毛呼ばわりされようものなら元ヤン丸出しでキレるところだが、彼が本当に恐ろしいのは激昂している時よりも、むしろ(一見)冷静に見える時の方なのだ。セーシェルのダンスが一向に上達する気配を見せないことに、流石のイギリスも危機感を抱いたのだろう。他国の、それもお世辞にも仲が良いとは言えないオーストリアに協力を要請したというのは彼にしてみれば余程のことである。つまり、今回それだけイギリスは本気であり、セーシェルが期限までにある程度課題をものにしなければ、宣告通り彼女はオーストリアの個人指導の刑行きになるだろう。今回ばかりは奔放気味なセーシェルも覚悟を決めないわけにはいかないようだ。

「おい、そこのヒゲ」

「へ?」

 可哀相なセーシェル。この眉毛が滅んだらまたフランス領にしてあげるからね、と本人にとってはまったく慰めにならないことを考えていたフランスだったが、どういうわけか元ヤン生徒会長は不穏な声で副会長を呼んだ。

「お前、何『自分は関係ない』て顔してやがる。もしセーシェルが踊れなかったら、その時はお前にも責任とってもらうからな」

「え?」

 俺?とフランスが自分の顔を指差すと、イギリスはつまらなそうにこっくりと頷いた。

「…えぇと、念の為確認するけど、もしセーシェルがダメだったらお兄さんの所為なわけ?」

「こいつを指導したのはお前なんだから、お前に責任があるのは当たり前だろうが」

「え!?ナニソレ!?お兄さんそんなの聞いてないよ!!」

「あぁ、だから今言った。それでこいつがオーストリアの世話になることになった場合なんだが」

「今!?今って今!?」

「交換条件として、オーストリアの単独ピアノリサイタルをぶっ続けで3時間、お前が聴くことになっている」

 観客がいた方が気分が盛り上がるそうだ。

「3時間!?って、えぇぇぇ!?」

「ちなみに3時間っていうのはあくまで目安で、気分によっては長くなったり長くなったりするそうだ」

「やる前から延長確定かよ!?」

 鬼!悪魔!元ヤン!金色毛虫!いつもの自慢の優男振りはどこへやら、涙目でイギリスを非難し始めたフランスに、加勢を得たとばかりにセーシェルも声高に悪口雑言を並べて抗議した。
 しかしイギリスはうるさく飛び回る蝿でも見るような一瞥をくれただけで、机上から何かを取り上げると殆ど予備動作もなしに手首を軽く閃かせた。
 何かが光った、とフランスが認識できたのはそこまでだった。フランスよりもずっと動体視力の良いセーシェルは、自分とフランスとの隙間を縫うように飛び去って行った影を確認した。後方の扉の辺りからカッという小気味良い音が聞こえたのと同時に、生徒会長の悪行を罵っていた二人の口がぴたり、と止まる。そして空いたままの口をそのままにそうっと後ろを伺って……フランスとセーシェルは仲良く揃って凍結した。世界中の国が通うW学園、それに相応しい重厚な内装の生徒会室の樫の扉には、何故か大変相応しくない奇妙な装飾が施されていた。見間違いでなければ、扉に突き刺さっているあれは生徒会長愛用のペーパーナイフではなかろうか。
 慌てて背後を振り返ると、その生徒会長様は今度は胸ポケットから万年筆を取り出して、慣れた仕種でキャップを外したところだった。―――書き物の為でないことは明白だった。

「お前達―――――騒いでる暇があるのか?」

 顔は無表情だがイギリスの目は明らかに「次は外さねぇ」と言っている。ひっ、と反射的にフランスとセーシェルは互いの手を取り合って恐怖に震えた。

 学生ならば誰しもが心躍るサマーホリデーを目前に控えたその時期に、某学園の某生徒会室には局地的な氷河期の到来が確認されたという。

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